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          会員の皆さんへ
・「連絡の窓」を時々開いて、事務局からの連絡の確認や最新情報を見てください。
・流山市内のコロナ感染状況は、子供とその家族を中心に増加して全体的になかなか収束傾向にありま
 せん。全国的にも感染者数が高止まり傾向にあり、オミクロン株の亜種であるオミクロンBA.2がま
 ん延している可能性があります。これは感染力が現在よりも1.5倍もあり、ステルスオミクロンと云
 われています。第7波の兆候が見られます。コロナの収束はまだまだ先のようです。
 会員の皆さんも気を緩めずにこれまでと同様に手洗い、換気、マスク着用を徹底して感染防止をしっ
 かりとしていただきたいと思います。
 
       4月27日更新  「流山本町江戸回廊」、「歴史とみりんの街・流山を訪ねよう!」、「流山本町歴史散策
              てびき」の取り扱いについて       事務局
    従来、「流山本町江戸回廊」マップ等は、予約ガイドおよび待機ガイドの担当班がツーリズム課に
行き、もらってきましたが、市担当者は個別に来られては管理ができないとのことで、このたび、
一括して事務局が500部もらってきました。秋元商店さんの了解を得て、のぼり旗を置いてある
倉庫に段ボール箱に入れて置かしてもらうことにしました。
 従って、会員の皆さんは、ツーリズム課に行くことなくマップ等を秋元さんの倉庫から必要な枚数
を持って行ってください。余ったマップ等は個人保管しないで倉庫の段ボール箱に戻してください。
 また、保管枚数が少なくなった場合は事務局関口まで連絡していただければ市へ行って補充い
たします。
お客さんへの配布は、待機ガイドでは、
「流山本町江戸回廊」と「歴史とみりんの街・流山を訪ねよう!」
予約ガイドでは、「流山本町江戸回廊」と「流山本町歴史散策てびき」をセットでの配布をお願いいた
します。「流山本町江戸回廊」は、輪ゴムで束ねてありますが20部となっています。
「歴史とみりんの街・流山を訪ねよう!」と「流山本町歴史散策てびき」は現在,、在庫枚数が少ない
ですが、ツーリズム課で増刷してもらうことにしています。

  
 
 
       4月24日更新    新入会員の研修講義   事務局   
             昨日、新入会員の研修講義が公民館講義室で午前10時から12時まで行われました。
          新入会員の出席者は6名で、1班秋山さん、2班佐藤惠さん、3班諏訪さん、5班竹中さん、
          田中さん、6班兵頭さんでした。
          
     
   高橋理事から「ガイドの心得」を具体的な内容での
  話がありました。
     岡理事からガイドについての注意点とボランティア
  保険についての説明がありました。
     
   

    今後の流山本町実地研修会の日程について

    1.日時 4月29日(金)10時~12時30分

    2.集合場所 平和台駅

    3.服装は自由

    4.ガイド講師 青柳理事長、岡理事

   急な日程で申し訳ありませんが、強制ではありま
   せんので希望者は参加してください。



    岡理事よりガイドの基本知識を「流山本町コース」
  と「利根運河コース」についてパワーポイントによ
  る説明がありました。
   
 
       4月18日更新    役員の選任について   青柳理事長

          会員各位

          第11回総会を5月10日(火)13時~公民館講義室で実施します。

          ここでの第4号議案に、令和4年度役員選任があります。

          会員の皆様で役員に立候補される方がおりましたら、

          4月末までに事務局宛ご連絡ください。

 
 
 
   目安箱 (再掲)
    日頃のガイド活動で感じたこと、改善したいことなど会の改善に伴う建設的なご意見をお願い
  いたします。また、流山本町を歴史的な町にするための良いアイディアがありましたら是非お願い
  いたします。
  ご意見は画像をクリックしてください。
     たくさんの ご意見を 賜りたい    
         
        4月18日更新    目安箱 へのご意見に対する回答
ご 意 見   回   答 
   広報ながれやまに「赤城神社本殿内見学と
  流山本町の七福神をめぐる」(流山おおたか
  の森駅前観光センター)が行われるようです。
  赤城神社本殿内見学とあり、電話で確認した
  ところ、博物館の職員が同行し社の中に入り、
  説明を受けるようです。私は、見たことがあ
  りません。「史跡ガイドの会」の会員の勉強
  会として、中から、本殿を見ることはできな
  いでしょうか?一度見てみたいと思い希望を
  書かせてもらいました。

  役員の皆様のお力で、見学できるようご検討
  ください。お願いいたします。千代田

  2022.1.19投稿

  史跡を団体見学するには、史跡の管理者の許可を
得る必要があります。神社は神聖な場所であり団体
で見学するような場所ではありません。
従って当会が管理者に許可申請しても断られる可能
性があります。市の行事、町の行事で見学案内の計
画があれば個人として参加するしかないと思われま
す。
流山おおたかの森駅前観光センターでは「赤城
神社本殿内見学と流山本町の七福神をめぐる」が好
評だったので、再度実施する計画があるようです。
これに個人として参加していただきたい。



 
 
 
   勉強会への投稿についてのお願い(再掲)
  勉強会への投稿が少なくなっております。日頃勉強した成果を是非、投稿をお願いいたします。
 投稿に当たっては、皆さんに理解を深めるために投稿の際、
簡単なコメントと本文、写真、図等の添付
 お願いいたします。
            
     4月18日更新    利根運河の最新情報    事務局関口 
        コロナの影響で待機ガイド活動が中止になり、しばらく運河に来ていませんでしたが、今回、待機ガイドの当番で
       運河に来る機会がありましたので変わったところを紹介いたします。
 
       若い家族連れで賑わっていました。
       鯉のぼりが例年の半分くらいで少し寂しい。
       さわやかな風が吹いていました。
       「新川」のとなりの雑木林が伐採されていました。

 
     
 
桜の木が伐採されてしまった。
 
     3階建て鉄筋コンクリート造りのサービス付き高齢者住宅
   が建設されるようだ。
     
   
「新川」   市の有形文化財に指定された建物 
     
   
利根運河大師八十八か所57番札所移設後の入口 
  57番札所
規模は旧祠と比較すると小さいが銅版葺きの屋根となっている。
 
     
 
            2年間も待機ガイドを実施しなかったので、交流館の倉庫に保管してあったボールべ―スが紛失。
            新しく購入しました。 注水するホースも購入しましたので利用してください。
            のぼり旗と同じ倉庫に保管してあります。

 
 
    4月14日更新    ガイド予定表の一部変更について    事務局 
       変更箇所は、赤字で表示されています。     
      ガイド予定表更新 (4月13日現在)  印刷は  こちら   
 
 
 
 
 
         4月7日更新
             4月5日に行われた定例会の内容を報告いたします。
             青柳理事長からの連絡事項
  ・郷土史検定11回は、17名参加で、受験したのは15名、合格者は10名、ガイドの会入会者は9名
 であった。

・新入会員へのお願い事項
 ・交通安全は最重要事項である。事故を起こさないことである。横断旗は安全のシンボルである。
 ・のぼり旗を秋元さん倉庫から持ってくるときは、庭の中ほどで母屋に向かって会釈してほしい。
 ・ガイドの制服を着ているとその行動の一部始終を地元の人は見ているので、うわさ話をしない、大声を
   出さない、服装に気を付ける等、常識人としての行動をお願いする。

 ・主に流山市域の史跡案内をするボランティア活動のため、会費で賄う範囲の活動をしている。ガイド時
   の報酬は辞退している。

 ・流山市史研究に自分が書いた「葛飾県・印旛県県庁舎の正門跡」が記載された。論文では他の論文記載
   事項を引用する際には直せないため県庁跡に刑場があった図を載せているが、ガイドでは地域住民に
   配慮して刑場の話はしない、聞かれたら詳しくは知らないと答えてほしい。 

 ・この2年間に体調をくずされた方や入院された方が出ましたが、身体に十分気を付けて長くガイドがで
   きるようにしてほしい。

 ・地元から後ろ指を指されることや中傷されることが決してないようにしてほしい。

 ・流山市の公共の一端を担っていることと市から重要なことを任されている流山市の顔であることを意
   識してもらいたい。
   
            事務局からの連絡事項
  次回5月10日は、総会の日である。新入会員は、総会終了後の定例会に出席してほしい。
 公民館2階に図書室(談話室)があるので、13時30分頃から待機しておいてください。総会終了後、呼
 びに行きます。
・4月19日、21日の運河大師巡りの研修試歩は、個人住宅に入る関係で、班長、副班長、旧班長の少人数
 に限らせてもらう。
・4月29日(金)我孫子市シニアクラブ15名は、流山駅10時集合、12時流山駅解散。担当班は6班と
 1班で6班が責任班となる。
・ガイドの参加、不参加はコロナがまだ高止まりをしている状況なので、会員の個人事情を重視してほしい。
 班長は班員の参加者が少ないからといって無理な参加をさせないでほしい。班員に不足が出た場合は、
 事務局に連絡してくれれば対応していきたい。
・会の情報は、「連絡の窓」に掲載するので時々見てほしい。
・新年度の年会費2000円を徴収します
・班編成の一部改定を行った。
   
            新入会員の自己紹介 
秋山 登さん    東京国分寺出身。茨城県に30年以上いた。8年前に東京に転勤になった。昨年退職し現在、
おおたかの森に住んでいる。地域に関係することをやりたいということで郷土史検定講座を
受けた。流山の歴史・文化財など勉強したいと思っている。
 
朝倉賢司さん  生まれ育ちも東京。横浜で教員をやっていた。現在、柏の自主夜間中学、視聴覚障害者な
どのボランティア活動を行っている。流山市の知識はないので広報で郷土史検定のことを
知った。皆さんからの知識をいろいろ教えていただきたい。
佐藤 惠さん  加村に住んでいる。きっかけとなったのは介護相談員からの話から検定を受講した。
合格の知らせを受けた時はとても嬉しかった。外国人への日本語教師のボランティアをして
いる
。 
諏訪隆文さん  生まれは鎌倉の稲村ケ崎の近く。千葉県には約40数年住んでいる。そのうち38年は新松
戸の幸谷に住んでいた。現在、後平井に住んでいる。流山のことはほとんど知らないので検
定を受講した。子供たちに流山のこと正しく伝えたい。オリンピック・パラリンピックのボラ
ンティアをした。
高橋 眞さん  出身は福島県喜多方市。現在、おおたかの森に住む。3年前にゆうゆう大学史跡探訪で熊
野神社の案内の時、流山にはまだ昔が残っていると感じたのがきっかけで検定を受講した。
ボランティア関係では生涯大学で知的障害者施設の花壇の整理、市野谷の森の保存の手伝
い、シルバー人材センターに登録をして庭木の剪定の仕事をしている。
竹中輝也さん   昭和26年生まれ。出身は茨城県、炭鉱の町として栄えた。昭和58年1月に流山豊四季に
来た。趣味は、旅行とゴルフ。郷土史検定をきっかけとしてガイドの会のお世話になることに
した。ボランティアの経験はない。
田中尚子さん  出身は長野県小諸。小さい頃から歴史が好きと好奇心があり、わからないことは何でも聞
くタイプ。流山には47年前に来た。長崎小学校の校歌の歌詞に相馬市との関係や野馬土手、
飛地山、馬橋から一茶道にも参加していろいろわかってきてますます面白くなってきた。
インターネットができず、わからないことを調べられないので皆さんに聞くことがあるので
よろしく。趣味はグランドゴルフ。
兵頭 勝さん  流山の歴史については知識がない。詳しく知りたいと思い検定受講した。
宮島和江さん  (仕事の関係で欠席でしたが返信はがきの内容)
流山生まれ育ちであるが郷土のことを勉強してこなかった。流山市が誕生した時は小学
校6年生で流山小学校の校庭に「流山」と人文字を書いて航空写真を撮ったのを今でも
懐かしく思い出します。私の流山は昔の姿のままです。
 
         皆さんの自己紹介で、聞き取れない部分があり、内容が抜けている個所がありますが、間違いや追加が
        ありましたら事務局関口(亘)まで連絡してください。
 
        利根運河大師巡り
          4月19日(火) Aコース 9時運河駅集合~12時運河駅
          4月21日(木) Bコース 9時運河駅集合~12時江戸川台駅

               参加者は、班長、副班長、旧班長とします。
          上記以外の希望者は、別途、事務局で計画いたします。
          詳細の資料は  こちら
 
 
 
 
    班編成表の印刷は  こちら  
 
 
     ガイド参加出欠表の印刷は  こちら  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     4月1日更新
             公民館春行事資料  実施日 令和4年6月11日   青柳理事長
                資料のコピーは  こちら
 
 
 
       勉強会
   一茶の北総遍歴「取手と守谷を訪ねて   事務局関口 
 前回は、一茶が布川(茨城県利根町)に残した句碑を訪ねましたが、今回は取手の長禅寺と守谷の西林寺にはどの
ような句碑があるのかまた、取手と守谷はとはどんな町なのか、どんな歴史があるのか訪ねてみました。
訪ねたのは、3月28日で天気が良く温かで桜が満開でした。電車と歩きで足腰が痛くなりましたが何とか取材を終え
ることができました。
JR常磐線取手駅を下車して長禅寺・染野家住居を訪れ、取手駅から関東鉄道常総線に乗り、稲戸井駅で下車、龍禅寺を
訪れました。さらに関東鉄道常総線で守谷に行きました。

  取手
  市の中央部を南北に水戸街道(国道6号)が通り、古くは千住宿から5つ目の宿場町として取手宿が置かれ、利根川
水運の拠点地・物資集積地でもあったこととあいまって、当時200軒程度の家並みが並ぶ集落を形成していた。
「取手」の都市名の由来は、戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名
づけられたといわれている。平将門が城堡(砦)を築いたことに由来するとの説もある。
 Wikipediaより

守谷 
 守谷の地名の起こりは、日本武尊が東征のときにこの地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見
て嘆賞せられ、「森なる哉(かな)」といわれました。これを漢訳して音読し「森哉(もりや)」となったという説が
あります。また、平将門がこの地に城を築いたとき、丘高く谷深くして守るに易き地ということから、守るに易き谷、
転じて「守谷」となったという説がありますが、このことについては、はっきりしたことは判明していません。しかし、
そのころの守谷は森がうっそうと茂り、その両側には入江が深く入り込んで、早くから人々が集まったところであった
と思われます。

 守谷市HPより

  一茶の俳句巡回
 江戸住まいの一茶は、俳諧師として行脚することによって生計を立てていた。一茶の巡回俳諧師としての地盤は主と
して上総、下総、安房といった房総半島方面であった。現存する資料から見ると、一茶の房総行脚は享和3年(1803年)
頃から本格化している。房総半島の行脚ルートは、水戸街道、利根川周辺の馬橋、小金、流山、守谷、布川そして佐原
や銚子方面まで足を伸ばすコースと、木更津を根拠地として富津、金谷、保田、勝山、そして千倉付近まで足を伸ばす
2コースがあった。江戸後期の房総半島は大消費地である江戸に近いという地の利を生かし、商品経済が浸透する中で
地場産業が発展し、富農、豪商らが力をつけるようになっていた。中でも木更津や佐原のような地域の中核地は賑わい
を見せており、文化に関心を持つ富農、豪商らの手によって文化も発達する。すると江戸近郊の房総には文人墨客が集
まるようになっていた。一茶も俳諧を嗜む房総方面の富裕層をターゲットとして、定期的に房総方面を巡回するように
なった。
   
           案内図1
            長禅寺および染野家住居
            長禅寺へは、取手駅から徒歩約3分です。
            染野家(旧取手宿本陣)と本多作左衛門の墓は、後述「取手付近の史跡」に参考として掲載しました。
 
 
        案内図2 
        西林寺へは、関東鉄道常総線またはTX守谷駅から徒歩約15分。
 

       取手
  長禅寺
 長禅寺は大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派に属しています。慶安2年(1649)将軍徳川家光より寺領5石3斗を賜る
朱印状の交付を受け、以後明治維新まで歴代の将軍より朱印状を受けています。市街地の中にありながら境内は深山幽谷
の趣を有し、本堂、山門、庫裏、三世堂、地蔵堂など多くの堂宇を有し、また市内に残る石造遺物の約6%がここにありま
す。平将門が勅願所として創建したと伝わる。 (取手市教育委員会抜粋)
 長禅寺入口 山門 (桜が満開) 本 堂
     
  三世堂 (茨城県指定有形文化財)
 外観は2層ですが内部3層で、「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段
があり、堂内では参拝者が交差せずにまわれるようになっています。棟札によれば、宝
暦13年(1763)に建立された堂が大破したため、享和元年(1801)に再建されたとあ
ります。
1層に坂東三十三か所観音札所、2層に秩父三十四か所観音札所、3層に西国三十三か所
の各本尊の写しを安置しており。合計百体の観音像があることから、百観音堂と呼ばれ
ています。

「三世堂」は普段は一般公開していません。 (取手市教育委員会抜粋)
長禅寺のビデは こちら 2分08秒後から始まる (取手市の歴史・伝統 取手市作製)
 三世堂    
     


 一茶の句碑
 下總の 四国廻りや 閑古鳥

 江戸時代を代表する俳人小林一茶は、現在
の守谷市や利根町をしばしば訪れ、取手にも
足を踏み入れました。
一茶のこの句は、長禅寺を中心とした新四国
相馬霊場八十八か所(大師詣り)を詠んだも
ので小川芋銭の筆によるものです。




 
 
 境内の池に映える桜    小川芋銭先生景慕碑
     
   小川芋銭先生景慕之碑
 河童の絵で有名な小川芋銭は、画家であるとともに和歌や俳句も嗜む文人でした。取手の「水月会」という句会に参加
したのが取手とのつながりができたといわれている。のち茨城県牛久沼に隠棲,田園風景を主題に俳画風の絵を描く。
特に,河童の絵で知られる。
秋元梧楼が一茶俳句の中から二十七句を選び、夏目漱石がその一茶俳句を揮毫し、小川芋銭が俳画を描き加えたもので、
大倉半兵衛の木版画により出版された。書名は、漱石によって、一茶・芋銭・漱石の三愚人の作として『三愚集』と銘々
されたもので、発行部数が少なかったこともあり、貴重な出版物となっている。
 
     守谷
  西林寺
 西林寺の創建は延喜2年(902)中世には相馬氏と千葉氏の菩提所となった寺です。元禄4年(1692)に守谷に移り、
上野寛永寺の末寺となりました。

西林寺は小林一茶ゆかりの寺としても知られています。文化7年(1810、一茶48才)6月14日、小林一茶は西
林寺を初めて訪れ住職の鶴老(かくろう)と出会っている。鶴老と一茶を引き合わせたのは信州飯田出身の豪商、桜井
蕉雨で、業俳として江戸で活躍した人です。以来、頻繁に守谷に通うことになる。一茶は西林寺に9回訪れ96泊した
といわれる。
 一茶は文化7年(1810)にこの寺を訪れ、しばらく滞在したといいます。その後も何度か一茶はこの寺を訪れたよう
です。その頃の寺の住職は義鳳といい鶴老と号して俳句作りをよくして、一茶同様に出身が信州であったといいます。
鶴老は貧乏寺の名もない一住職である。一茶には何もめぐんではいない。一茶は守谷に行くと不思議と心が休まったよ
うだ。
 西林寺  本 堂  一茶句碑と説明版
   周囲には塀もなく荒れているという感じであった。樹木は枯れて切り株だけがいくつか残っていた。 一茶の句碑はポツンと寂しく
  建っていた。入口の左側に墓地がある。本堂の裏側にも墓地があるが、墓石は一つもなかった。住職も住んではいないようだ。
 
 
     
   
  一茶句碑







            行く年や 空の名残を 守谷まで
   文化7年(1810年)12月23日、一茶がこの寺を訪れたときに詠んだもの。
   鶴老は 寒が入やら 松の折れ口  と脇を付けている。

 「独り身の年の瀬、空がとっても青いから、守谷まで来てしまいましたよ鶴老さん」
 「いやあ、一茶さん、こんなに寒いのによく来てくれました。ほれ、松の枝が寒さで
 折れていますよ。」 こんなやりとりがあったのでしょうか。
     
 
     名物の枝垂桜も枯れた枝の切り落とし姿に哀れを誘う 
    (この枝垂桜を見るために日程を組んできたのに残念)
        優雅な時の枝垂桜(写真はインターネットより)


     
     
            釣鐘のない鐘楼
   戦時中の金属供出で、戦艦大和の船体の一部に変貌したか、
   あるいは鉄砲の銃弾になってしまったかわからないが、お国
   のためになったのです。
   
     
     
   取手駅付近の史跡    
        染野家住宅(旧取手宿本陣) (茨城県指定有形文化財) 場所は地図1を参照
   水戸街道は千住と水戸を結び、取手は千住から数えて6番目の宿場でした。貞享4年(1687)、染野家は水戸徳川家から
本陣に指定され、歴代の水戸藩主をはじめ多くの大名や武士たちが、宿泊や休憩に利用しました。
本陣には、寛政7年(1795)建築の主屋(しゅおく)の他、江戸時代の建物として土蔵と表門が残っています。表門を入る
と、そこには大名行列や旅人が街道を行き交った江戸時代の雰囲気が残っています。
また水戸藩第9代藩主徳川斉昭(なりあき)の歌碑があり、水戸徳川家と本陣の深いつながりを現在にまで伝えています。
主屋は寛政6年(1794)の取手の大火で焼失しており、現存する建物は寛政7年に建築されたものです。
表門が県文化財
 染野家住居の詳細については こちら (取手市のHPより)
 一般公開 金、土、日、10~16時
染野家住居のビデは こちら 3分05秒後から始まる (取手市の歴史・伝統 取手市作製)
 
  
        本多作左衛門の墓  場所は地図1を参照 (私は、当地には行きませんでした)
 
    本多作左衛門重次の墓 写真はインターネットより

本多作左衛門重次
 徳川家の重臣で「鬼作左(おにさくざ)」とあだ名された本多
作左衛門重次は、天下人となった豊臣秀吉の勘気にふれ、家康
もやむなく蟄居(ちっきょ)を命じ、そのまま許されることなく
取手の地で亡くなりました。
日本一簡潔な手紙「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥
やせ」は、本多重次が、戦場から妻に宛てたといわれる手紙で
す。要領を得た簡潔な手紙文として余りにも有名です。

 重次が天正3年(1575年)の長篠の戦いの陣中から妻にあてて
書いた手紙である。この「お仙」は当時幼子であった嫡子・仙千
代(成重)のことである。なお、手紙の原文は「一筆申す 火の用
心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」である

また重次は頑固で他人に厳しい人物と見られがちだが、この手紙
は唯一の息子である仙千代を心配し、自らが留守中に家中を取り
仕切る妻に「火事に気を付けるように、使用人への徹底を改めて
するように、そして5人の子の内、男子は仙千代だけだから病気
に気を付け、武士にとって戦場で命を預ける馬の世話を怠りなく
せよ」と妻子を気遣う優しさが見え隠れしている

        
   
   稲戸井駅付近の史跡   (関東鉄道常総線取手・守谷間)
 
       
  龍禅寺
 米井山(べいせいざん)無量寿院と号し、宗派は天台宗です。天慶 2 年(939)の創建と 伝えられます。山号
の米井山は、平将門が武運長久を祈願するために龍禅寺に参詣した際に、井戸から米が噴き出したことに由来す
るといわれています。将門はこれを吉祥と喜び、 地名の米ノ井もこれに由来すると伝えられています。 また将門
は三仏堂で生まれたとも伝えられ、近くには将門の愛妾桔梗御前の菩提を弔う桔梗塚があり、龍禅寺と将門伝説
との深いつながりがうかがえます。
   
   本 堂  
     
   
 三仏堂(国指定重要文化財)  
    正面三間、側面三間で左右と背面に裳階(もこし)が付いています。三方に裳階が付く形式の建物 は、他に例を見ません。
屋根は寄棟造りで茅葺きです。内部は外陣と内陣に分かれ、内陣 には禅宗様の須弥壇が置かれ、三仏堂の名称の由来ともな
った釈迦如来、阿弥陀如来、弥 勒菩薩の三体の仏像が安置されています。
裳階(もこし) : 仏堂・仏塔などの軒下壁面に取り付けた庇(ひさし)状の構造物

龍禅寺のビデは こちら 1分04秒後から始まる (取手市の歴史・伝統 取手市作製)
     
     
          
     一茶の北総遍歴図

                    図は東葛流山研究より
 。







 一茶にとって、下総地方は第二のふるさとであった。喧騒に
明け暮れる江戸生き馬の目を抜く江戸からこの地方に来ると
一茶の心は不思議と安まり、何日でも滞在した。
 一茶は江戸にあっては、一流の俳人たちから信州生まれの
貧乏俳人とさげすまれていました。だが、江戸川を越えて下総
の地に入れば、もう構える必要はなかった。自然体でいいので
ある。山河は美しいし、人情もめっぽう素朴で温かい。一茶は
少年のような純な素直な人間に戻れた。 

一茶は、流山を中心に後援者のいる布川や守谷へもせっせと
足を運んだ。利根川沿いの布川には、廻船問屋の古田月船が
おり、守谷の西林寺には住職の鶴老がいてなにかと一茶の
面倒を見てくれた。
 (山本鉱太郎 東葛流山研究より抜粋)
一茶は、下総地方において秋元双樹宅に訪れたのは51回、
136泊、大川立砂宅に55回、96泊、古田月船宅に49
回、289泊、西林寺(鶴老)に9回、96泊したといわれている。
一茶は下総地方に親子、兄弟、あるいは友達関係のような心
の絆を深く結んでいたものと思われます。

 一茶の句碑

北相馬郡利根町布川
  徳満寺   段々に朧よ月よ籠り堂
  琴平神社  べつたりと人のなる木や宮角力
  来見寺   赤門やおめずおくせず時鳥

  弁財天   赤子から うけならはすや 夜の露
  泪塚    見ぬ世から 秋のゆふべの 榎哉
        植足しの 松さへ秋の 夕哉

取手市取手2丁目
  長禅寺   下総の四国廻や閑古鳥
守谷市本町
  西林寺   行く歳や空の名残を守谷まで

       
   
   あとがき
   1年3か月にわたり、流山に関する史跡を毎月訪ねてきましたが今回で最終といたします。
歩きを主として電車を利用しての史跡を訪ねました(小金城趾は自転車を利用しました)。車で行くとどうしても見逃し
てしてしまう個所が出てくるからです。殆んどは弁当をリュックに入れて半日以上の行程でした。足を鍛える意味もあり
ましたが、疲れっ切ってしまう方が多かったです。
各地域には歴史があり、その歴史を建造物等に残して後世に伝えている。素晴らしいことですね。歴史は大切に残し、そ
して伝えることは現在生きている我々の使命ですね。
この1年3か月、普段行かない流山周辺の町を訪れる機会を得て、地理や歴史を学んで勉強になりました。