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会員の皆さんへ
・「連絡の窓」を時々開いて、事務局からの連絡の確認や最新情報を見てください。
・流山市内のコロナ感染状況は、子供とその家族を中心に増加して全体的になかなか収束傾向にありま
せん。全国的にも感染者数が高止まり傾向にあり、オミクロン株の亜種であるオミクロンBA.2がま
ん延している可能性があります。これは感染力が現在よりも1.5倍もあり、ステルスオミクロンと云
われています。第7波の兆候が見られます。コロナの収束はまだまだ先のようです。
会員の皆さんも気を緩めずにこれまでと同様に手洗い、換気、マスク着用を徹底して感染防止をしっ
かりとしていただきたいと思います。 |
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4月27日更新 「流山本町江戸回廊」、「歴史とみりんの街・流山を訪ねよう!」、「流山本町歴史散策
てびき」の取り扱いについて 事務局 |
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従来、「流山本町江戸回廊」マップ等は、予約ガイドおよび待機ガイドの担当班がツーリズム課に
行き、もらってきましたが、市担当者は個別に来られては管理ができないとのことで、このたび、
一括して事務局が500部もらってきました。秋元商店さんの了解を得て、のぼり旗を置いてある
倉庫に段ボール箱に入れて置かしてもらうことにしました。
従って、会員の皆さんは、ツーリズム課に行くことなくマップ等を秋元さんの倉庫から必要な枚数
を持って行ってください。余ったマップ等は個人保管しないで倉庫の段ボール箱に戻してください。
また、保管枚数が少なくなった場合は事務局関口まで連絡していただければ市へ行って補充い
たします。
お客さんへの配布は、待機ガイドでは、「流山本町江戸回廊」と「歴史とみりんの街・流山を訪ねよう!」
予約ガイドでは、「流山本町江戸回廊」と「流山本町歴史散策てびき」をセットでの配布をお願いいた
します。「流山本町江戸回廊」は、輪ゴムで束ねてありますが20部となっています。
「歴史とみりんの街・流山を訪ねよう!」と「流山本町歴史散策てびき」は現在,、在庫枚数が少ない
ですが、ツーリズム課で増刷してもらうことにしています。
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4月24日更新 新入会員の研修講義 事務局 |
昨日、新入会員の研修講義が公民館講義室で午前10時から12時まで行われました。
新入会員の出席者は6名で、1班秋山さん、2班佐藤惠さん、3班諏訪さん、5班竹中さん、
田中さん、6班兵頭さんでした。
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高橋理事から「ガイドの心得」を具体的な内容での
話がありました。 |
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岡理事からガイドについての注意点とボランティア
保険についての説明がありました。 |
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今後の流山本町実地研修会の日程について
1.日時 4月29日(金)10時~12時30分
2.集合場所 平和台駅
3.服装は自由
4.ガイド講師 青柳理事長、岡理事
急な日程で申し訳ありませんが、強制ではありま
せんので希望者は参加してください。
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岡理事よりガイドの基本知識を「流山本町コース」
と「利根運河コース」についてパワーポイントによ
る説明がありました。 |
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4月18日更新 役員の選任について 青柳理事長 |
会員各位
第11回総会を5月10日(火)13時~公民館講義室で実施します。
ここでの第4号議案に、令和4年度役員選任があります。
会員の皆様で役員に立候補される方がおりましたら、
4月末までに事務局宛ご連絡ください。
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目安箱 (再掲)
日頃のガイド活動で感じたこと、改善したいことなど会の改善に伴う建設的なご意見をお願い
いたします。また、流山本町を歴史的な町にするための良いアイディアがありましたら是非お願い
いたします。
ご意見は画像をクリックしてください。 |
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ご 意 見 |
回 答 |
広報ながれやまに「赤城神社本殿内見学と
流山本町の七福神をめぐる」(流山おおたか
の森駅前観光センター)が行われるようです。
赤城神社本殿内見学とあり、電話で確認した
ところ、博物館の職員が同行し社の中に入り、
説明を受けるようです。私は、見たことがあ
りません。「史跡ガイドの会」の会員の勉強
会として、中から、本殿を見ることはできな
いでしょうか?一度見てみたいと思い希望を
書かせてもらいました。
役員の皆様のお力で、見学できるようご検討
ください。お願いいたします。千代田
2022.1.19投稿 |
史跡を団体見学するには、史跡の管理者の許可を
得る必要があります。神社は神聖な場所であり団体
で見学するような場所ではありません。
従って当会が管理者に許可申請しても断られる可能
性があります。市の行事、町の行事で見学案内の計
画があれば個人として参加するしかないと思われま
す。流山おおたかの森駅前観光センターでは「赤城
神社本殿内見学と流山本町の七福神をめぐる」が好
評だったので、再度実施する計画があるようです。
これに個人として参加していただきたい。
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勉強会への投稿についてのお願い(再掲)
勉強会への投稿が少なくなっております。日頃勉強した成果を是非、投稿をお願いいたします。
投稿に当たっては、皆さんに理解を深めるために投稿の際、簡単なコメントと本文、写真、図等の添付を
お願いいたします。 |
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4月18日更新 利根運河の最新情報 事務局関口 |
コロナの影響で待機ガイド活動が中止になり、しばらく運河に来ていませんでしたが、今回、待機ガイドの当番で
運河に来る機会がありましたので変わったところを紹介いたします。 |
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若い家族連れで賑わっていました。
鯉のぼりが例年の半分くらいで少し寂しい。
さわやかな風が吹いていました。
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「新川」のとなりの雑木林が伐採されていました。
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桜の木が伐採されてしまった。
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3階建て鉄筋コンクリート造りのサービス付き高齢者住宅
が建設されるようだ。 |
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「新川」 |
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市の有形文化財に指定された建物 |
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利根運河大師八十八か所57番札所移設後の入口
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57番札所
規模は旧祠と比較すると小さいが銅版葺きの屋根となっている。 |
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2年間も待機ガイドを実施しなかったので、交流館の倉庫に保管してあったボールべ―スが紛失。
新しく購入しました。 注水するホースも購入しましたので利用してください。
のぼり旗と同じ倉庫に保管してあります。
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4月14日更新 ガイド予定表の一部変更について 事務局 |
変更箇所は、赤字で表示されています。 |
ガイド予定表更新 (4月13日現在) 印刷は こちら |
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4月7日更新 |
4月5日に行われた定例会の内容を報告いたします。 |
青柳理事長からの連絡事項
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・郷土史検定11回は、17名参加で、受験したのは15名、合格者は10名、ガイドの会入会者は9名
であった。
・新入会員へのお願い事項
・交通安全は最重要事項である。事故を起こさないことである。横断旗は安全のシンボルである。
・のぼり旗を秋元さん倉庫から持ってくるときは、庭の中ほどで母屋に向かって会釈してほしい。
・ガイドの制服を着ているとその行動の一部始終を地元の人は見ているので、うわさ話をしない、大声を
出さない、服装に気を付ける等、常識人としての行動をお願いする。
・主に流山市域の史跡案内をするボランティア活動のため、会費で賄う範囲の活動をしている。ガイド時
の報酬は辞退している。
・流山市史研究に自分が書いた「葛飾県・印旛県県庁舎の正門跡」が記載された。論文では他の論文記載
事項を引用する際には直せないため県庁跡に刑場があった図を載せているが、ガイドでは地域住民に
配慮して刑場の話はしない、聞かれたら詳しくは知らないと答えてほしい。
・この2年間に体調をくずされた方や入院された方が出ましたが、身体に十分気を付けて長くガイドがで
きるようにしてほしい。
・地元から後ろ指を指されることや中傷されることが決してないようにしてほしい。
・流山市の公共の一端を担っていることと市から重要なことを任されている流山市の顔であることを意
識してもらいたい。 |
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事務局からの連絡事項 |
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・次回5月10日は、総会の日である。新入会員は、総会終了後の定例会に出席してほしい。
公民館2階に図書室(談話室)があるので、13時30分頃から待機しておいてください。総会終了後、呼
びに行きます。
・4月19日、21日の運河大師巡りの研修試歩は、個人住宅に入る関係で、班長、副班長、旧班長の少人数
に限らせてもらう。
・4月29日(金)我孫子市シニアクラブ15名は、流山駅10時集合、12時流山駅解散。担当班は6班と
1班で6班が責任班となる。
・ガイドの参加、不参加はコロナがまだ高止まりをしている状況なので、会員の個人事情を重視してほしい。
班長は班員の参加者が少ないからといって無理な参加をさせないでほしい。班員に不足が出た場合は、
事務局に連絡してくれれば対応していきたい。
・会の情報は、「連絡の窓」に掲載するので時々見てほしい。
・新年度の年会費2000円を徴収します
・班編成の一部改定を行った。
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新入会員の自己紹介 |
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秋山 登さん |
東京国分寺出身。茨城県に30年以上いた。8年前に東京に転勤になった。昨年退職し現在、
おおたかの森に住んでいる。地域に関係することをやりたいということで郷土史検定講座を
受けた。流山の歴史・文化財など勉強したいと思っている。 |
朝倉賢司さん |
生まれ育ちも東京。横浜で教員をやっていた。現在、柏の自主夜間中学、視聴覚障害者な
どのボランティア活動を行っている。流山市の知識はないので広報で郷土史検定のことを
知った。皆さんからの知識をいろいろ教えていただきたい。 |
佐藤 惠さん |
加村に住んでいる。きっかけとなったのは介護相談員からの話から検定を受講した。
合格の知らせを受けた時はとても嬉しかった。外国人への日本語教師のボランティアをして いる。 |
諏訪隆文さん |
生まれは鎌倉の稲村ケ崎の近く。千葉県には約40数年住んでいる。そのうち38年は新松
戸の幸谷に住んでいた。現在、後平井に住んでいる。流山のことはほとんど知らないので検
定を受講した。子供たちに流山のこと正しく伝えたい。オリンピック・パラリンピックのボラ
ンティアをした。 |
高橋 眞さん |
出身は福島県喜多方市。現在、おおたかの森に住む。3年前にゆうゆう大学史跡探訪で熊
野神社の案内の時、流山にはまだ昔が残っていると感じたのがきっかけで検定を受講した。
ボランティア関係では生涯大学で知的障害者施設の花壇の整理、市野谷の森の保存の手伝
い、シルバー人材センターに登録をして庭木の剪定の仕事をしている。 |
竹中輝也さん |
昭和26年生まれ。出身は茨城県、炭鉱の町として栄えた。昭和58年1月に流山豊四季に
来た。趣味は、旅行とゴルフ。郷土史検定をきっかけとしてガイドの会のお世話になることに
した。ボランティアの経験はない。 |
田中尚子さん |
出身は長野県小諸。小さい頃から歴史が好きと好奇心があり、わからないことは何でも聞
くタイプ。流山には47年前に来た。長崎小学校の校歌の歌詞に相馬市との関係や野馬土手、
飛地山、馬橋から一茶道にも参加していろいろわかってきてますます面白くなってきた。
インターネットができず、わからないことを調べられないので皆さんに聞くことがあるので
よろしく。趣味はグランドゴルフ。 |
兵頭 勝さん |
流山の歴史については知識がない。詳しく知りたいと思い検定受講した。 |
宮島和江さん |
(仕事の関係で欠席でしたが返信はがきの内容)
流山生まれ育ちであるが郷土のことを勉強してこなかった。流山市が誕生した時は小学
校6年生で流山小学校の校庭に「流山」と人文字を書いて航空写真を撮ったのを今でも
懐かしく思い出します。私の流山は昔の姿のままです。 |
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皆さんの自己紹介で、聞き取れない部分があり、内容が抜けている個所がありますが、間違いや追加が
ありましたら事務局関口(亘)まで連絡してください。 |
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利根運河大師巡り |
4月19日(火) Aコース 9時運河駅集合~12時運河駅
4月21日(木) Bコース 9時運河駅集合~12時江戸川台駅
参加者は、班長、副班長、旧班長とします。
上記以外の希望者は、別途、事務局で計画いたします。
詳細の資料は こちら |
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班編成表の印刷は こちら |
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ガイド参加出欠表の印刷は こちら |
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4月1日更新 |
公民館春行事資料 実施日 令和4年6月11日 青柳理事長
資料のコピーは こちら |
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勉強会 |
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一茶の北総遍歴「取手と守谷を訪ねて」 事務局関口
前回は、一茶が布川(茨城県利根町)に残した句碑を訪ねましたが、今回は取手の長禅寺と守谷の西林寺にはどの
ような句碑があるのかまた、取手と守谷はとはどんな町なのか、どんな歴史があるのか訪ねてみました。
訪ねたのは、3月28日で天気が良く温かで桜が満開でした。電車と歩きで足腰が痛くなりましたが何とか取材を終え
ることができました。
JR常磐線取手駅を下車して長禅寺・染野家住居を訪れ、取手駅から関東鉄道常総線に乗り、稲戸井駅で下車、龍禅寺を
訪れました。さらに関東鉄道常総線で守谷に行きました。
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取手
市の中央部を南北に水戸街道(国道6号)が通り、古くは千住宿から5つ目の宿場町として取手宿が置かれ、利根川
水運の拠点地・物資集積地でもあったこととあいまって、当時200軒程度の家並みが並ぶ集落を形成していた。
「取手」の都市名の由来は、戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名
づけられたといわれている。平将門が城堡(砦)を築いたことに由来するとの説もある。 Wikipediaより
守谷
守谷の地名の起こりは、日本武尊が東征のときにこの地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見
て嘆賞せられ、「森なる哉(かな)」といわれました。これを漢訳して音読し「森哉(もりや)」となったという説が
あります。また、平将門がこの地に城を築いたとき、丘高く谷深くして守るに易き地ということから、守るに易き谷、
転じて「守谷」となったという説がありますが、このことについては、はっきりしたことは判明していません。しかし、
そのころの守谷は森がうっそうと茂り、その両側には入江が深く入り込んで、早くから人々が集まったところであった
と思われます。
守谷市HPより
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一茶の俳句巡回
江戸住まいの一茶は、俳諧師として行脚することによって生計を立てていた。一茶の巡回俳諧師としての地盤は主と
して上総、下総、安房といった房総半島方面であった。現存する資料から見ると、一茶の房総行脚は享和3年(1803年)
頃から本格化している。房総半島の行脚ルートは、水戸街道、利根川周辺の馬橋、小金、流山、守谷、布川そして佐原
や銚子方面まで足を伸ばすコースと、木更津を根拠地として富津、金谷、保田、勝山、そして千倉付近まで足を伸ばす
2コースがあった。江戸後期の房総半島は大消費地である江戸に近いという地の利を生かし、商品経済が浸透する中で
地場産業が発展し、富農、豪商らが力をつけるようになっていた。中でも木更津や佐原のような地域の中核地は賑わい
を見せており、文化に関心を持つ富農、豪商らの手によって文化も発達する。すると江戸近郊の房総には文人墨客が集
まるようになっていた。一茶も俳諧を嗜む房総方面の富裕層をターゲットとして、定期的に房総方面を巡回するように
なった。
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案内図1
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長禅寺および染野家住居
長禅寺へは、取手駅から徒歩約3分です。
染野家(旧取手宿本陣)と本多作左衛門の墓は、後述「取手付近の史跡」に参考として掲載しました。 |
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