連 絡 の 窓       

                         令和3年8月号
             
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               ・会員の皆さんへ。
           「連絡の窓」を時々開いて、事務局からの連絡の確認や新情報を見てください。
           新型コロナ禍で感染者が今までにないほど激増している中でのパラリンピックが始まりました。
           千葉県にも緊急事態宣言が発出され、25日のコロナウイルス感染者数は、流山市70名、柏市158名、
           松戸市208名となり、10~30代の感染者が大部分を占めています。
           ワクチン2度接種したからと言って安心できません。感染する可能性があります。感染しても入院できない
           可能性が大となる現状を考えると、私たちはこれまで以上に自分自身で感染防止に努めなければなりません。
 
       8月25日更新  事務局からの連絡事項 岡理事
            理事会および定例会の中止について       
           史跡ガイドの会9月定例会を9月3日に予定していましたが、千葉県の緊急事態宣言が9月12日まで延長さ
          れたことで、当日がこの期間に該当しますので残念ながら中止いたします。理事会も中止いたします。

          デルタ株によるコロナ感染拡大が顕著で、救急医療体制も正常に機能しないケースが報道されています。
          会員の皆様は、「自分の命は自分で守る」災害時対応の行動を実践して、コロナ感染を防ぐとともに、他の病気
          にも罹らないように体調管理に留意していただきたいと思います。

          10月定例会は10月1日(金)13時~15時、中央公民館第二会議室を予定しています。
          9月後半になればワクチン接種率との関係で、様相が変わることを期待しています。
          ガイド予定表の印刷は こちら
 
 
       8月20日更新  わがまち・ふるさと再発見!「99金子市之丞2 歌舞伎」  田村副理事長
       ・「ASA江戸川台運河グッド・モーニング」のネット版、わがまち・ふるさと再発見!「99金子市之丞2 歌舞伎」
        が配信されました。
        
このシリーズは来月9月で終了です。 印刷は  こちら  
 
 
       
       8月20日更新  「木の香取神社江戸川改修碑」に出てくる「三村三平」ついて   佐久間克裕幹事
        「香取神社の堤防碑」の中に「三村三平」とありましたが、参考資料を見つけましたので追加掲載いたします。
         また、現地の三村稲荷へ行き境内の石碑を確認してきました。
         印刷は こちら

                 
 
 
             8月13日更新  勉強会3題
               「木の香取神社江戸川改修碑」について   佐久間克裕幹事
          木村の香取神社境内に設置されている石碑「江戸川改修碑」について、現地で見るたびに、「江戸川の」までは
         読めるのですが、その後が読めません。
堤防改修申請が明治10年12月で、許可されたのが翌11年3月です。
         
しかも此の碑の建立が明治11年と記載されているのです。早すぎとの疑問を持ちました。
         時代が違うとはいえ、坂川の改修の時は何回も却下されているし、明治11年3月に工事着工をしても四十間
         (約1.2キロ)の堤防をそんなに早く完成出来るものだろうか?
そんな疑問から、此の碑の文字を読んでみよう
         と考えました。
          
内容については、新田開発して、農地を増やす為の経緯とその功労者について、後世に伝える為、又、石碑を
         建立する根拠が書かれていると思う。(文字を読んで、文を想像すれば内容も読めるとおもい、ルビを付ける
         形式にまとめました。)

         尚、青木更吉氏は「流山の江戸時代を旅する」の中で(158ページ)「建立は明治14年以降であろう」として
         います。


               資料の印刷は  資料1  資料2
 
 
 香取神社(改修碑は階段を上がって左側にある)  江戸川改修碑
   
   
改修碑拡大   
 
 
           8月1日更新  事務局からのお知らせ(再掲)
               会員各位
                オリンピックTV観戦と感染症対策でステイホームが続き、ストレスが蓄積している
               今夏ですが、会員の皆様は元気にお過ごしのことと推察いたします。
               史跡ガイドの会8月定例会を8月6日に予定していましたが、千葉県で緊急事態宣言
               (8月2日~8月31日)が発出され、当日がこの期間に該当しますので残念ながら中止
               いたします。理事会も中止いたします。

               会員の皆様はワクチン接種がすでに終了した人も多いと思います。それでも5%確
               率で感染するリスクが残っています。安心せずに感染防止に努めたいと思います。

               9月定例会は9月3日(金)13時~15時、中央公民館第二会議室を予定しています。
                コロナ収束で、10月1日からの予約ガイド再開を願っています。
                ガイド予定表は こちら
 
             勉強会2題
             勉強会1題目   青柳理事長
              1 田中陣屋表門兼県庁正門跡位置の検討について 
              2 流山本町青野自治会長から市宛一茶句碑建立の お願い文依頼につき案文提出について 
                  印刷は 1の課題 こちら
                     2の課題  こちら
             勉強会2題目   事務局関口 
               「中野牧の捕込」(鎌ヶ谷市)を訪ねて 
 
            勉強会への投稿についてのお願い
              勉強会への投稿が少なくなっております。日頃勉強した成果を是非、投稿をお願いいたします。
             投稿に当たっては、皆さんに理解を深めるために本文の前に簡単な要旨、写真、図等の添付をお願い
             いたします。
 
             勉強会1題目   青柳理事長
              1 田中陣屋表門兼県庁正門跡位置の検討について 
 
 
 
                            
   
   
   
        2 流山本町青野自治会長から市宛一茶句碑建立の お願い文依頼につき案文提出について
 
 
 
          勉強会2題目 
         「中野牧の捕込」(鎌ヶ谷市)を訪ねて   事務局関口
         江戸時代、牧の中に放牧されていた野馬を生け捕りにするために「捕込」(とっこめ)という土塁状の施設が設けられ
        ましたが、中野牧の捕込が残っている鎌ヶ谷市を訪ねその規模や機能などを見てきました。
        新京成の初富駅を下車して、「鎌ヶ谷市郷土資料館」に入り(無料)、「捕込」の模型を見ながら学芸員さんの説明を聞
        き全体のイメージを頭の中に入れて現地に行きました。
         この「捕込」は地元地権者と町教育委員会とが連携して県に働きかけ、千葉県の文化財に指定されましたが、江戸幕
        府の牧経営の様相を知る上で重要であることから全国で初めて国史跡として平成19年に指定されました。
        
           中野牧の概要

         房総には古くから牧場が多く、平安時代から江戸時代にかけて軍馬の有力な供給地であった。平将門や歴代の千葉氏、
        源頼朝などが強大な軍事力をもち得たのはこうした背景が一因であったといわれている。
徳川家康は慶長9年(1604)
        に、戦力強化のために従来の牧場を整理して、下総国に小金三牧、印西牧、佐倉七牧を置いた。さらに、八代将軍吉宗が
        享保7年(1722)に、これらの牧をさらに整備し、小金三牧は従来の上野牧、中野牧、下野牧に、高田台牧と印西牧を加
        えて五牧とした。このうち中野牧と下野牧は特に重視され、幕府の直轄の牧として野馬奉行の下に管理され、村の名主
        が牧士(もくし)となって馬の世話をした。牧の範囲は、現在の野田市から千葉市の北部に及び、幕末には約15,000ha
        の規模があったといわれている。

         牧にいる馬は、牧場で飼育された馬を放牧したものではなく、野生の馬そのものであった。これらの馬は年に1回、
        1か所に集められて、軍用馬として使えそうな馬を捕獲するが、馬を集めて捕獲する場所が捕込(とっこめ)跡である。
        捕込跡は各牧に1か所ずつあり、中野牧の捕込跡と牧を取り巻く野馬土手、野馬堀は現在もよく保存されている。
特に捕
        込跡は元文年間(1736~1741)の構築と伝えられ、高さ約3~5mの土手で囲まれた馬を追い込む区画が残っており、
        江戸幕府の馬の生産を支えた重要な施設を知る上で貴重なものである。      千葉県教育委員会

 
 
   

 小金五牧の分布
1.上野牧(かみのまき):流山市・柏市
2.高田台牧(たかただいまき):
流山市:柏市
3.中野牧(なかのまき):松戸市・鎌ケ谷市・白井市・船橋市
4.下野牧(しものまき):船橋市・鎌ケ谷市・習志野市・八千代市・千葉市
5.印西牧(いんざいまき):白井市・印西市







   
 
           アクセス
 
   
新京成初富駅
現在駅前広場が工事中であった。
 
鎌ヶ谷市郷土資料館 (初富駅の近くにある)

   
     資料館内に展示してある「捕込」の復元模型
     今回見たのは「払込」の部分である。
 
同左 

   
涼しさを求めて公園を経由して現地に行きました。   木が生い茂り静かな公園です。 
   
 
   親子馬がのんびりと牧で過ごしている様子がうかがえます。
   一茶もこんな光景を見て「下蔭を捜してよぶや親の馬」
   と詠んだのでしょう。
   
      こんもりとした林の個所が「払込」の場所で現存。
     右側のマンション付近が「捕込」があった場所
     現在は消失している。
 
   
   
「捕込」(払込)の入口 

      「千葉県指定史跡 小金中野牧の込跡」の石碑
      現在は、国指定史跡となっている.
      この石碑の右側に下記の説明版が建っている。
   

         太線:国指定史跡範囲
         点線:失われた区画の想定範囲
         矢印:馬を誘導したと想定される方向
 
  左の説明文
印刷は こちら
  
   
 
                   「捕込」の部分は消失している。         郷土資料館パンフレットより
                   「溜込」部分は半分現存している。
                   「払込」部分は当時のまま残っている。
  
    ・広さは約7000平方メートルあったと推測され、馬を追い込み捕える「捕込」と、江戸へ送る馬などを留めておく「溜込」
     (ためごめ)、野に返す馬を集める「払込」(はらいごめ)の三区画からなっている。現地は、「払込」部分が当時のまま
      現存している。
    ・説明看板があるところが「払込」の入口となっており、中に入ると周囲が土手で囲まれ大きな鍋の底にいる感じでした。
      底の部分は、以前は雑木林であったが、台風による倒木で見晴らしがよくなっている。将来は倒木を片付け一般の人が
      見学できるように整備したいとのことである。
    ・通路には二本のロープが張られ、ロープ外には出てはいけない状況あり、突き当りの階段を上った個所で写真撮影をし
      た。
    ・階段の個所から「溜込」に行きたかったのですが、写真6のように樹木で覆われて行けませんでした。
    ・国史跡の個所であるので早期に整備してもらいたいものです。市教育委員会文化財担当窓口に問合せしたところ、予
      算関係で整備に数年かかるとのことでした。

 
     捕込 
      牧は、二重で堀のある野馬除土手で囲まれ、馬が牧の外に逃げ出したり、農作物を荒らさないようにしていました。
     野馬は、年に一度の野馬捕りで、捕込(とっこめ)へ追い込まれ、捕獲・選別されます。

     調教しやすい3歳馬は、溜込(ためごめ)に入れ、軍馬として幕府へ送ったり、農民に払い下げられました。2歳馬は、払込
     (はらいごめ)で焼印を押され、当歳馬や親馬とともに、牧へ返されました。

      野馬捕りで、馬を捕込へ追い込む村人たちを勢子人足(せこにんそく)、効率良く追い込むために作られた土手を勢子土手
     (せこどて)と呼びました。
   
初富小学校脇に現存する勢子土手
中野牧の捕込と併せて国指定史跡

 
   
   払込跡   
  写真1 払込の内部(入り口付近から撮影) 
    通路の両側にロープが張られ中には入れない。 
    ロープの外は、雑草の生い茂りが倒木を隠している
    ので危険であった。

       写真1,2のビデオ (削除)
写真2 (同左)




   
         写真3  払込の内部 
   正面土手の向こう側が「溜込」の個所。
   ロープの外側は倒木や雑草が生い茂り、土手は急で高さが
   4mくらいあり登れそうもなかったので、「溜込」を見る
   のを諦めました。

     写真3,4のビデオ (削除)
 写真4(奥から入り口側を望む) 





   
   
写真5 払込の天端の状況(樹木で入れない)
 
 写真6 「溜込」の場所へ行く天端の状況(樹木で入れない)
   
   
写真9 「溜込」跡を国道側から望む(中には入れない)

 
 
   
    印刷は こちら
 
 
 
中野牧捕込(三橋力家旧蔵文書)
鎌ヶ谷市郷土資料館)
              同左
    捕込見取り図の書き下し図(「捕込」の規模がわかる)
  
   
   新京成電鉄について   
 ・本路線大半の区間は旧日本陸軍鉄道連隊が演習用に敷設した
  軌道敷(鉄道連隊演習線松戸線)であり、第二次世界大戦後
  の京成電鉄への払い下げを経て民間利用されているもので
  ある。
 ・演習線は、様々な状況での路線敷設演習のために急曲線が多
  数介在する屈曲線形で、旅客線開業時に可能な限り直線化を
  図るも現在なお良好な線形でない。移動距離に比して道程が
  長く、津田沼駅ー松戸駅間(現在の松戸駅の位置ではなく
  松戸中央公園付近は直線距離約16 kmに対し道程26.5km
  である。

 ・演習線軌間は600 mmと極端に狭隘だったが京成電鉄払い
  下げ時に1067 mmへ改軌される。昭和34年に1435 mm
  へ改軌した。

 ・台地の分水嶺に沿ったルート(小金牧の区域内)をとってい
  る。

 ・松戸駅 - 上本郷駅間は旧軍用線ではなく、全くの新線である。
 ・新京成電鉄は戦前に当時の陸軍鉄道連隊が線路を敷設する練
  習した線路敷を京成電鉄に払い下げてもらったのが始まり。
  この線路敷を改良し、運営を任せる子会社として1946(昭
  和21)年に設立した会社が新京成電鉄です。Wikipediaより


  私は、鎌ヶ谷の「捕込」の現地に行くのに武蔵野線の新八柱
 駅から新京成電鉄の八柱駅で乗り換えして初富駅まで行きま
 した。
 常盤平ー初富間の線路状況をビデオに撮りました。 
   ビデオは こちら 約9分 (終了しました)
 急カーブがあるとはいえ、特に違和感が無く、JR並みの立派な
 線路構造で乗り心地は大変良かったです。




   
   
   
 
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