連 絡 の 窓       

                         令和3年9月号
     
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              会員の皆さんへ
           「連絡の窓」を時々開いて、事務局からの連絡の確認や新情報を見てください。
           新型コロナ禍で感染者が減少傾向にありますが、千葉県にも緊急事態宣言(9月30日まで)が出され
           ておりますので、会員の皆さんもこれまで以上に十分な注意が必要です。
 
 
          9月25日更新   事務局からのお知らせ
            史跡ガイドの会10月定例会を10月1日(金)に予定していましたが、 10月22日(金)に延期いたします。
          コロナ感染者の減少により、千葉県の緊急事態宣言は解除される見込みですが、医療機関のひっ迫状態から
          まん延等重点措置が発令されること
が予想されるためです。まん延等重点措置の期間は半月程度と考えて
          い
ますが、状況が変わりましたら再度ご連絡いたします。
          2回のワクチン接種済者でもブレークスルー感染でクラスターが発生したとの報道もあります。
          引き続き、コロナ感染防止に努めるとともに他の病気にも罹らないよう、体調管理に留意していただきたい
          と思います。

           今後の予定
            10月定例会 10月22日(金)13時~15時、中央公民館第二会議室
            11月定例会 11月5日(金)
            12月定例会 12月7日(火)
 
 
         9月22日更新   一月寺の遺石と一月堂について   小川監事 佐藤(茂)幹事
          連絡の窓に「昔の疫病対策は神頼み」(わがまち・ふるさと再発見100回)には、牛頭天王と廃仏棄釈
         について掲載されていますが、本テーマはオンラインミーティングでも取り上げ、調べていく中で馬橋の萬満
         寺には、 神仏分離策で廃寺となった小金宿旧一月(いちげつ)寺の遺石が置かれていることや、堂宇が再建さ
         れていることが分かりました。
         一茶道ガイド等で寄った際に、参考になればと考え、情報共有いたします
 
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          9月19日更新   お月見   田村副理事長
 
 
 
          9月19日更新   わがまち・ふるさと再発見 最終回   田村副理事長
 
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         9月19日更新   流山のいま・むかし  事務局 関口
           本日、博物館において開催中の「流山のいま・むかし」の展示会に行ってきましたので報告いたします。
         テーマは、「鉄道のあるくらし」、「流山を描く、語る」です。予約して行きましたので、市職員の約1時間の
         説明がありました。次回の予約説明は10月17日(日)です。先着10名で無料です
   
   
   
   
   
   
   
   
 
         9月19日更新   変貌した三本松古墳跡   佐久間幹事
                散歩がてらに確認しましたが、三本松古墳の跡地に「古冢碑」が設置されていました。
                祠に入った立派な勇姿です。 鰭ヶ崎4号公園の一角です。
   
   
   
 古墳跡に保存された古冢碑
   
 宅地造成が完成(古墳跡から撮影)
   
   
          移設した道祖神等が安置されてある
         立派な道路に変貌
 頂上に古冢碑が見える
 
        9月1日更新   理事会および定例会の中止について(再掲)
              会員各位
           9月定例会を9月3日に予定していましたが、千葉県の緊急事態宣言が9月12日まで延長されたことで、当日が
           この期間に該当しますので残念ながら
中止いたします。理事会も中止いたします。
          デルタ株によるコロナ感染拡大が顕著で、救急医療体制も正常に機能しないケースが報道されています。
          会員の皆様は、「自分の命は自分で守る」災害時対応の行動を実践して、コロナ感染を防ぐとともに、他の病気にも
          罹らないように体調管理に留意していただきたいと思います。

          10月定例会は10月1日(金)13時~15時、中央公民館第二会議室を予定しています。
          9月後半になればワクチン接種率との関係で、様相が変わることを期待しています。
 
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         ・目安箱 (再掲)
           日頃のガイド活動で感じたこと、改善したいことなど会の改善に伴う建設的なご意見をお願いいたします。
          ご意見は画像をクリックしてください。
                       
 
         ・イベント情報
           流山市立博物館で「新収蔵資料展、流山いま・むかし」を9月4日~10月24日および10月30日~
          12月12日まで開催予定です。是非見に行ってください。
          詳しくは、 こちら
 
         ・勉強会への投稿についてのお願い
           勉強会への投稿が少なくなっております。日頃勉強した成果を是非、投稿をお願いいたします。
         投稿に当たっては、皆さんに理解を深めるために投稿の際、簡単な主旨と本文、写真、図等の添付をお願い
         いたします。
 
 
        勉強会1題
         赤城神社本殿について    事務局 関口
           主旨
         赤城神社本殿についての講演会が、平成27年5月16日に流山福祉会館で「赤城神社本殿はなぜ文化財に
        行なったのか? 棟札と墨書記録から明かされた新事実」という題で流山市文化財審議会委員小川 浩先生に
        より行われました。その時のまとめた資料は、勉強会で皆さんに配布・説明をしましたが、その後ガイドの会に
        入会した方には配布しておりませんでした。本殿については是非、皆さんに理解していただきたいと思い、講演
        会の資料と「流山建物ア・ラ・カ・ル・ト」(流山市立博物館)の資料で、勉強会用としてまとめてみました。
        なお、「史跡を訪ねて」の現地調査は、新型コロナウイルス感染激増のため、身の安全を考えてお休みいたしま
        した。
 
            要 旨
        ・この赤城神社は、流山市文化財審議会による本殿と拝殿の調査が平成25年から2年間にわたって行われました。
        その結果、平成27年3月30日付けでこの本殿が流山市の有
形文化財に指定されました。
       
・本殿の中を調査したところ、赤城神社の建築経緯を書いた棟礼と木札が出てきました。それには、いつ建てられ
        たのか、誰が建てたのか、誰が資金を出したのかなどが書かれてありました。また、神社の格式が正一位である
        ことを証明する書き物などが出てきました。

        ・この神社は3度再建されていたことが分かりました。神社の創建は不詳ですが、最初の再建が元和6年(1620)
        に行われましたが建物はどのようなものかは不明でした。

       ・2度目の再建は貞享元年(1684)で、本格的な本殿、拝殿でありました。再建されてから49年後の享保18年
        (1733)、神社の格式である正一位をいただいたという書き物が出てきました。

       ・現在の本殿は寛政元年(1789)の3度目の再建で、出資者は光明院の門弟と秋元三左衛門と氏子さん達と地元の
        人たちであることがわかりました。
本殿を造ったのは埼玉県出身の大工棟梁と彫物棟梁であることが分かりました。
       ・赤城神社の構造上の特徴は、拝殿と本殿とを橋で連絡していることです。これは他の神社にはない非常に珍し
        い構造であります。

       ・拝殿は明治42年に再建されたもので、この時にお神楽が演じることができるように造り変えたことがわかりました。
        お神楽をする時には板戸を外すと
舞台に早変わりするようになっています。 この拝殿は文化財に指定されてはお
        りません。
 
      ・講演内容
       1.寛政元年(1789)の棟札に書かれていた内容
        再建  元和6年(1620)   目印程度の建物の可能性あり
        再再建 貞享元年(1684)  本格的な社ができたと推測
        御神官 享保18年(1733) 正一位赤城大明神の神階位を拝領
        今建  寛政元年(1789)  現在の本殿の建立
        発願者 別当赤城山神楽寺光明院前住法印圓實とその弟子昇應が建立
        施工者 大工棟梁 武州児玉郡本庄住人 植原藤七  (詳細不明)
            彫刻棟梁武州榛沢郡中瀧村住人 高松藤吉 (日光東照宮造営で彫物大工を担当した高松一門の流れと
                                みられる)
        寄進者 小十寄力、門弟中(光明院のお坊さん達)、大旦那秋元三左衛門、寄力、当両組氏子中(宿と根郷か)
      2正一位赤城大明神の神階位を拝領

        ・「正一位赤城大明神幣帛」と明記された木箱の中に「宗源宣旨状」と「祝詞」が入っており、蓋裏には「享保18年
         11月5日 神祇管領兼雄」と記されている。
京都吉田家(吉田神社)から正一位の許可を得た
         *吉田家:全国の神社に位階を授け神号を認め神殿や祭礼に関する許可を与えるなどの行為をした
                吉田神道は、室町末期に,吉田兼俱が大成した神道の一派。神仏混淆を排除し、神社の権威を確立する運動
              を展開した。

        ・誰が正一位を発案してどう動いたか、誰が金を出したかは謎である。
      3.赤城神社を支えた崇敬者
        ・江戸時代前期・中期 
          貞享元年(1684)    飯嶋重左衛門 境野武左衛門  再再建(神社の建築に当たっての出資者)
          享保19年(1734)   飯嶋重左衛門 須藤半治郎   神仏混淆型の御札を発行
       ・江戸時代後期
         寛政元年(1789)    秋元三左衛門、両組氏子中他 現在の本殿建築に当たっての出資者
         天保15年(1844)   白井□□門          御神体(鏡)を寄付
         安政5年(1858)    飯嶋脩徳            扁額修理(安政の大地震で正一位の額が壊れたのを
                                     修理し
た経緯が額の裏面に記載)
         文久2年(1862)    飯嶋脩徳           石灯籠を増補  

      4.飯嶋重左衛門 : 流山の酒造家で神社維持などに特段の寄進をしていた。流山寺の隣に立派な墓がある。相当な
                財力があったものと思われる。秋元、堀切両家の前に飯嶋、境野という財閥がいた。そして神社
                の建築に関与していた。流山の歴史には出てこなかった新たな研究材料である。
                         

       以下の写真と説明は、「流山建物ア・ラ・カ・ル・ト」(流山市立博物館)を参考にしました。 
   
棟札1(貞享元年(1684)))(2回目の再建)    棟札2(寛政元年(1789)(3回目の再建)    
  棟札中央に「奉建立赤木大明神玉殿一宇如意 安全所」
  右側に「貞享元年9月吉祥日」
  右下に「光明院住 敬白」、先住法印と当住法印の名が記され
  ている。
  左側に「下総国葛飾郡流山町 施主」、 左下に「飯嶋重左衛
  門、境野武左衛門」の2名が施主として記されている。
 



  棟札中央に「当社建立記」
  右側に「再建立元和6年9月、 又 貞享元年」
  (元和6年(1620)に再建し、貞享元年(1684)に
  再再建している。)
  左側「今建 寛政元年満願」 今建(現在の本殿)は寛政元年
  に建立。
  中央左下「大工棟梁 武州児玉郡本庄住人植原藤七
  彫刻棟梁武州榛沢郡中瀧村住人高松藤吉」と記してある。
  左下には寄進者として「小十寄力、門弟中、大旦那秋元三左衛
  門、寄力、当両組氏子中」と記してある。
   
 
         表             
宣旨・幣帛 扁額(木製)
    左側「下総国葛飾郡流山村 正一位赤城大明神幣帛」
   中央上「宗源 宣旨」は、神祇管領従三位卜部朝臣兼雄の名
   で「正一位赤城大明神に叙す旨の宗源宣旨状である。
   中央下「祝詞」は宣旨の内容である神階位や幣帛を授かった
   ことの祝詞である。

    *幣帛とは神社で神前に奉献するものの総称で,布帛,衣
     服,紙,玉,酒,兵器などいろいろある。

    *神祇管領長上(じんぎかんれいちょうじょう):吉田神
     道を継承する吉田家当主が代々名乗った称号。

    *吉田兼雄:江戸時代中期の神道家で吉田家当主。神祇管
     領長上。京都吉田神社の祠官。

    *宗源宣旨(そうげんせんじ):諸国の神社に位階,神号,神
      職に許状を授けるために吉田家から出された文書。
      宗源宣旨と称する文書を発行して全国の神社に位階を
      授け,神号を認め,神殿や祭礼に関する認可を与えるな
      ど行った。
   「正一位赤城大明神」と朱漆で記されている。額は全体が
   漆掛けされている。
   裏側は、扁額修理の経緯が記されている。
   石製の扁額も存在したが、安政2年の地震により落下して
   一部欠損してしまった。
 









   
   
 
橋掛り  本 殿 
  本殿と拝殿を連絡する装置。 このような構造は他の
  神社に見られない非常に珍しい。
  この橋掛かりは、天保9年(1838)に設置され、現在
  の拝殿を明治41~42年に建築した際に橋前側を切り詰
  めている。
   本殿の彫刻は、欅の彫りを見せるために彩色を施さず、
   素木造りとしている。



 
   
 
 本殿背面大羽目彫刻   本殿北側面大羽目彫刻 
      唐獅子、牡丹、唐松、仙人等を題材とし、透彫り、浮彫り、丸彫りなどを織り交ぜた立体感のある彫刻である。
      また、木目や彫りを生かした素木造りとなっている。
      本殿の外部は全体にわたって彫刻で飾られ向拝柱や縁下彫刻には一部極彩色も認められる。
      彫刻の作風は立体的な力強さを感じさせて江戸時代後期の寛政年間にふさわしい彫り方となっている。
   
本殿千鳥破風  本殿南面
     本殿の屋根は、当初こけら葺きであった。その後、瓦葺きとなり、昭和55年に修理した棟札によると、この時に現在の
     銅版葺きに葺き替えられた。
     *柿葺き(こけらぶき): 屋根葺き手法のひとつで、木材の薄板を用いて施工する。板葺きの代名詞にも使われる。
 
   
 
説明版(階段を登り切った右側に設置してあります) 
 
 
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