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令和4年1月号 |
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皆様には健やかに新春を迎えられたこととお慶び申し上げます
一日も早いコロナ感染が収まり通常の生活が戻つてきてほしいものです。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます
令和四年元旦
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会員の皆さんへ
・「連絡の窓」を時々開いて、事務局からの連絡の確認や最新情報を見てください。
・オミクロン株という新型ウイルスが世界的にまん延しております。日本にも徐々に増加傾向に
あります。会員の皆さんも気を緩めずにこれまでと同様に感染防止対策をしっかりとしていた
だきたいと思います
・これからますます寒くなる時期となりますが、暖かい居間などから冷え切った脱衣所から
風呂場に移動したり、熱いお湯につかることで、血圧が変動し、心臓や血管などに負担が
かかり、心疾患や脳梗塞などが起こりやすくなる、いわゆる「ヒートショック」を起こす場合
もありますので、脱衣所を暖房器具で温めて風呂場との温度差をなくしたり、熱いお湯に
長時間入らないなどの配慮が必要となります。充分に気をつけてください。
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1月21日 更新 「まん延防止等重点措置」発出に伴うガイド活動の方針 事務局 |
21日に千葉県に「まん延防止等重点措置」が適用されましたので予約済のガイド活動は下記のように対応することに
なりました。 |
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・1月22日(土) ふれあいウオーカーズ様 20名 流山本町ご案内 (延期決定)
・1月23日(日) 流山市公民館様 郷土史現地講習 17名 流山本町コースご案内 (予定どおり実施)
・2月23日(水) 太田様 20名 利根運河ご案内 (延期決定)
・3月 4日(金) コープみらい様 10名 流山本町ご案内 (コロナ感染状況で判断)
・3月19日(土) 利根交流館様 20名 利根運河御案内 (中止決定)
・3月26日(土) 新川まちづくり協議会様 利根運河御案内 (中止決定)
・3月26日(土) 千葉県社会保険労務士会東葛支部様 30名 流山本町ご案内 (コロナ感染状況で判断)
・4月10日(日) 仁平様 4名 流山本町ご案内 (コロナ感染状況で判断)
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1月21日 更新 関係個所へガイドの会としての方針をメールで伝える 事務局 |
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流山市役所 流山本町・利根運河ツーリズム推進課
一茶双樹記念館、利根運河交流館、流山おおたかの森駅前観光情報センター
日頃、当会の活動に際して、ご支援をいただき、感謝いたします。
首件、昨年11月から活動を再開していましたが、今般の「まんえん防止等重点措置」が千葉県に発出された場合は、
当面の間活動を休止することにいたしましたので、ご報告いたします。
ただし、現在活動中の郷土史検定支援については継続実施します。
当会員は高齢者が殆どであり、糖尿病などの持病を持っている会員が多く、新型コロナウイルスに感染すると重症
化リスクが高いための判断です。
ご理解を賜りますよう、よろしくお願いいたします。
令和4年1月19日
流山史跡ガイドの会 事務局
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1月21日 更新 3回目接種券郵送中です
接種券が届いた方から市内の病院で予約ができます。 |
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1月21日 更新 旧割烹新川屋本館が有形文化財に指定されました |
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1月19日 更新 2月の定例会および理事会の中止について 事務局岡理事 |
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会員各位
流山市の新型コロナウィルス感染者が急増しています。
千葉県に「まん延防止等重点措置」が発出されることを受けて、2月6日(日)に予定していた2月定例会を
中止いたします。また、当日の理事会も中止いたします。
3月の定例会は3月18日(金)中央公民館講義室を予定していますが、感染状況をみて開催するかどうか
理事会で判断いたします。場所も講義室のため、開催の場合は2回に分けた会議方式になります。
中止連絡の徹底を図るため、メール受信者は返信をお願いします。
oka14240@poppy.ocn.ne.jp |
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千葉県に「まん延防止等重点措置」が21日に発出される予定です。これに伴いホームページからのガイド受付は
当分の間中止することを臨時理事会で決定いたしました。 |
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1月19日 更新 目安箱への投稿がありました 事務局 |
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広報ながれやまに「赤城神社本殿内見学と流山本町の七福神をめぐる」(流山おおたかの森駅前観光センター)が
行われるようです。赤城神社本殿内見学とあり、電話で確認したところ、博物館の職員が同行し社の中に入り、説明を
受けるようです。私は、見たことがありません。「史跡ガイドの会」の会員の勉強会として、中から、本殿を見ること
はできないでしょうか?一度見てみたいと思い希望を書かせてもらいました。
役員の皆様のお力で、見学できるようご検討ください。お願いいたします。千代田 |
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1月19日 更新 郷土史検定講習の座学が終了しました 事務局 |
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郷土史検定講習は、11日の座学に続き、16日に成顕寺コースの現地講習、18日、19日には座学が行われました。
座学は、本日が最後で23日(日)には流山本町コースの現地講習が実施されてすべての課程が終了します。
2月2日には郷土史試験が行われます。 |
18日(火)の講義 |
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田村副理事長による「江戸時代の流山」説明 約1時間30分 |
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岡理事による「明治から平成の流山」説明 約1時間 |
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19日(水)の講義 |
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高橋理事による「流山の語り部・文化財」説明
説明後、流山の無形民俗文化財ビデオ放映 約1時間 |
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青柳理事長による「流山のむかし」のまとめ 約1時間半
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1月11日 更新 理事会および定例会の中止について 事務局岡理事 |
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会員各位
流山市の新型コロナウィルス感染者が急増しています。
本日11日の郷土史検定講義後の臨時理事会で、会員の安全安心を最優先する立場から、14日予定していた
1月度定例会義を中止することが決まりました。当日の理事会も中止いたします。
併せて、3月から予定している待機ガイドについても、開始を保留することが決まりました。
急な中止連絡でたいへん申し訳ありません。
また、中止連絡の徹底を図るため、メール受信者は返信をお願いします。
oka14240@poppy.ocn.ne.jp |
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1月11日 更新 郷土史検定講習始まる 事務局関口 |
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本日、中央公民館で9時から12時まで郷土史検定講習が始まりました。
始めに公民館の担当者の倉持氏から挨拶があり、当講習会には応募者17名があり、流山市のことを知りたい
人を対象にしていることと講習に当たっての指導があった。
続いて青柳理事長から、当会の設立経緯と検定講習との関係説明があった。初めて受講する人を対象とした
講習で、流山市の全体像を知ってもらいたいとの挨拶があった。
参加者 16名
ガイドの会 青柳理事長、田村副理事長、高橋理事、須郷理事、岡理事、関口理事
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公民館 倉持氏の挨拶 |
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青柳理事長の挨拶 |
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講義風景 |
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青柳理事長の「流山のあらまし」説明 約50分 |
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須郷理事による「流山のあけぼの・中世」説明 約40分 |
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関口理事による「流山の中世」説明 約50分 |
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1月5日 更新 ビリケンの名前の由来について 田村副理事長 |
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印刷は こちら |
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1月4日 更新 日章旗がアメリカから赤城神社に返還される 高橋理事 |
12月31日の読売新聞に流山赤城神社に関する記事が掲載されていましたので添付します。
全国に300社余りある赤城神社のうち流山に白羽の矢が立ったことに意義ぶかいものを感じます。
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この記事の印刷は こちら |
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令和4年1月1日 更掲 PCR無料検査および年末年始の医療体制について |
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流山市安心メールより |
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1. 【千葉県事業】新型コロナウイルス感染症の無料検査(PCR検査又は抗原検査)の実施
について
12月28日から、千葉県が感染に不安を感じる無症状の県民全ての方を対象に、令和4年1月31日ま
での間、希望する場合に無料で検査を受けることができる事業を開始しました。
【県ホームページ】 https://www.pref.chiba.lg.jp/shippei/kansenshou/pcrmuryouka.html
【問い合わせ先】 千葉県健康福祉部疾病対策課 検査体制整備班 043-223-4327
2 【千葉県事業】年末年始の発熱外来指定医療機関について
千葉県では、12月29日(水)から1月3日(月)の間の発熱外来指定医療機関を県ホームページに
公表しています。
【県ホームページ】 https://www.pref.chiba.lg.jp/kenfuku/hatsunetsu.html
3 年末年始の市の体制について
(1)流山市新型コロナウイルス相談専用ダイヤル
12月29日(水)から1月3日(月)の間も、市民の健康相談に対応します。発熱などの体調のご不安
などについて、お気軽にご相談ください。
電話番号 04-7138-6121 ファックス 04-7155-5949
時間 午前8時30分から午後5時15分まで
専用ダイヤルの開設時間外は、千葉県発熱相談コールセンターをご利用ください。
電話番号 0570-200-139 ファクス 043-224-8910
時間 24時間(土日祝日年末年始も対応)
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「広報ながれやま」12月21日より |
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1月1日 再掲 3回目新型コロナウイルスワクチン接種について 塩崎幹事からの情報 |
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・3回目のワクチン接種の予約が、柏厚生総合病院で行われています。2回目接種後8か月以上経過した日
の予約となります。柏厚生総合病院の診察券が無くても予約できます。
・予約方法
「柏厚生総合病院コロナ予約」で検索
新型コロナウイルスワクチン3回目接種について
予約サイトのURLをクリック
ログイン(画面右上)
予約者アカウントをお持ちでない方はこちら (こちらをクリック)
予約者登録(必要事項を入力して登録) ⇒ 新規サイトのため会員登録が必要 (登録完了のメールが来る)
再度、予約サイトのURLをクリック
パスワードを入力してログイン
カレンダーをクリックして、2回目接種後8か月以上経過した日で希望の日を予約する。
以上です。 |
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目安箱 (再掲)
日頃のガイド活動で感じたこと、改善したいことなど会の改善に伴う建設的なご意見をお願い
いたします。また、流山本町を歴史的な町にするための良いアイディアがありましたら是非お願い
いたします。
ご意見は画像をクリックしてください。 |
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勉強会への投稿についてのお願い(再掲)
勉強会への投稿が少なくなっております。日頃勉強した成果を是非、投稿をお願いいたします。
投稿に当たっては、皆さんに理解を深めるために投稿の際、簡単なコメントと本文、写真、図等の添付を
お願いいたします。 |
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1月1日 更新 勉強会2題
1.論文「ながれやまの史跡・史実を検討する」が流山市史研究に掲載決定 青柳理事長
2.龍源寺と近藤勇の生家を訪ねて 事務局関口 |
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1.論文「ながれやまの史跡・史実を検討する」が流山市史研究に掲載決定 青柳理事長 |
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先般、流山博物館編集・流山市教育委員会発行の論文集「流山市史研究」に論文「流山の史跡・史実を検討する」
を提出のところ、12月24日に博物館から掲載可の連絡があり、下記編集ルールのもと、掲載依頼しました。
1 NPO流山史跡ガイドの会(文責青柳孝司)で提出のところ、表紙は青柳孝司で表示、所属会名は「原稿末尾括弧書き」
に表示の由。
2 念のため原稿料発生有無確認のところ「無料」の由。
3 発行まで対外持出し不可と。
なお、論文内容は今まで「連絡の窓」に逐次掲載文をまとめ少し修正したもの。 青柳孝司
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印刷は こちら 注 : 会員外の人には印刷物を渡さないようお願いいたします。 |
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2. 龍源寺と近藤勇の生家を訪ねて 事務局関口 |
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今からおよそ150年前、幕末の激流に呑まれ、命知らずと強固な結束の組織、 それは新選組。
浅葱色の羽織に「誠」の文字のユニフォーム。京都において治安維持のため徹底的に取り締まり、恐れられて
いた新選組。「より武士らしく生きる」 をモットーに戦い抜いた新選組。彼らを率いたのは局長近藤勇と副長
土方歳三でした。
今回は近藤勇のお墓がある龍源寺と生家を訪ねてみました。
訪ねたのは、6年前の2015年12月14日で、中野隆志さんの案内で同期の皆さんと行ってきたものを今回まとめ
てみました。 |
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アクセス |
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・JR三鷹駅から 鷹52系統「榊原記念病院行き」または「朝日町三丁目行き」「車返団地行き」バス乗車、
竜源寺バス停下車で徒歩1分 (同期の皆さんとはJR三鷹駅からバスに乗って行ったような記憶があります)
・西武多摩川線多摩駅から徒歩15分
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龍 源 寺 |
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龍源寺は、正保元年(1644)に府中高安寺第4世家山東伝が開創したといわれています。開基は三鷹市の大沢村周辺を開いた
箕輪将監です。禅宗曹洞派
門前には近藤勇の胸像と天然理心流の石碑が、本堂手前には左右対になった樹齢300年と推定される大銀杏があり、本堂の裏
手の墓地には東京都指定旧跡の近藤勇の墓がある。 |
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近藤勇の胸像(左)、近藤勇の墓の石碑(中央左)、
天然理心流の石碑(中央右) |
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近藤勇の胸像
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近藤勇の墓の石碑 |
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天然理心流の石碑 |
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近藤勇の墓 |
勇の甥近藤勇五郎(勇の長兄、音五郎の次男)らは、板橋の刑場で肩の鉄砲傷を目印に首のない勇の遺体を掘り起し、生家近くにある
龍源寺(三鷹市大沢)に埋葬しました。勇の無言の帰還を、人々は野川にかかる相曽浦橋で迎えたと伝えられています。
龍源寺の近藤家墓所には、勇の一人娘瓊 )と結婚して近藤家を継いだ勇五郎やその息子久太郎等の墓があります。
新吉(信吉)は勇五郎の次男。 |
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近藤勇辞世の句 |
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宮川家の墓 |
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近藤神社
昭和元年(1926)に東京一円の有志たちによって建てられた
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近藤勇と新選組ゆかりの地
近藤神社
近藤神社は、徳川将軍家のために、忠誠心を貫いた近藤勇を尊び、
昭和初期に東京一円の有志たちによって近藤勇の生家跡に建立さ
れた。その後、荒れるにまかせていた社を一時別の場所に移設して
いたが、昭和五二年に生家跡が市の史跡に指定されたのを受けて、
昭和五四年に戻したものである。 調布市観光協会 |
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近藤勇生家の跡地 |
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熱心に説明文を読む同期の皆さん |
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説明版の内容 |
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(説明版より) |
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当時の近藤勇の生家 (説明版より) |
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屋敷配置図(説明版より) |
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近藤勇の生家宮川家の模型(縮尺30分の1)(調布市郷土博物館) |
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史跡跡
近藤勇生家跡
指定 昭和52年4月25日
この地は新選組局長近藤勇の生家跡である。
近藤勇は、天保五年(一八三四)宮川久次郎の三男(幼名
勝五郎)としてこの地に生まれ育った。
十五歳の時天然理心流近藤周助に入門、翌年理心流の目録
を得て周助の養子となり近藤姓を名乗った。
当時、宮川家の屋敷は面積約七千平方メートルの広さが
あり、建物は母屋のほか蔵屋敷、文庫蔵、乾燥納屋、地下蔵、
農具入納屋等があり、周囲はケヤキ、カシその他の大木や
竹林が茂っていた。現在の跡地は、屋敷の東南部に位置し、
昭和十八年に家がとりこわされるまで使用していた井戸を
残すのみである。
平成12年12月1日再建
調布市教育委員会
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近藤勇の生家宮川家は、甲州街道上石原宿の北方約2.4km、人見街道と小金井に通じる道の辻にありました。
屋敷の広さは約2,120坪(約7,000㎡)、主屋のほかに蔵屋敷や文庫蔵、納屋などがありました。庭内には築山が
築かれ、屋敷の周りにはケヤキやカシなどが植えられ、裏手には竹林がありました。富農であり篤農家であった
近藤勇の実父宮川久次郎は、天然理心流近藤周助を招いて屋敷内の納屋を剣術道場とし、勇が周助の養子となっ
た後は、この宮川家の道場が調布・三鷹地域の出稽古先として大いに賑わったと伝えられています。
生家は、昭和18年(1943)、陸軍調布飛行場から飛び立つ戦闘機の妨げになるとの理由で取り壊されました。
現在は、勇が生まれた時に産湯に使ったと伝えられる井戸が残されているだけで、当時の面影をうかがい知るこ
とはできませんが、調布市郷土博物館には、宮川家の協力を得て復原した生家模型(縮尺30分の1)が展示され
ています。
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近藤勇生家跡地 右側に近藤神社がある |
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産湯に使ったと伝えられる井戸 |
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人見街道を挟んだ地に天然理心流道場「撥雲館 (」があった。撥雲館は、勇の婿養子である勇五郎が明治9年(1876)に
開いた道場で、その名は山岡鉄舟が命名し、看板に揮毫)したと伝えられている。 |
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天然理心流道場「撥雲館」 |
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熱心に説明文を読む同期の皆さん |
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近藤勇の甥で娘婿の近藤勇五郎が開いた天然理心流の道場(右側の木造の建物)
最盛期には多摩地域から門人3000人を抱えた。1931年(昭和6年)に改築され、昭和50年代まで稽古が続けられた。 |
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説明版の印刷は こちら |
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調布飛行場について |
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セスナ機の調布飛行場への着陸シーンは こちら(削除) |
調布飛行場の歴史
1941年(昭和16年)4月30日、竣工式が行われ、東京府によって現在の位置に公共用飛行場として開設された。そのときの名称は
「東京調布飛行場」で、これが現在の「東京都調布飛行場」の前身である。開設当初は現在の滑走路とほぼ同じ位置のメイン滑走路
(全長1000 m・幅80 m)とメイン滑走路の南端近くで交わる東西方向の横風用滑走路(全長675 m・幅80 m)との合計2本のコン
クリート舗装滑走路が存在した。
第二次世界大戦末期には、首都圏に飛来するボーイングB-29爆撃機などを撃退するために戦闘機隊が配備された。中でも有名
なのは三式戦闘機を装備した飛行第244戦隊で、京浜地区の空襲のたびに出動しB-29に体当たりするなどして戦果を挙げているが、
沖縄戦が始まると同戦隊は特攻作戦支援のために九州へ移動したため、調布飛行場には偵察機だけが残された。
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掩体壕 |
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掩体壕(えんたいごう)は、装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設である。
掩体、掩蔽壕(えんぺいごう)、掩壕とも言う。
通常はコンクリート製で、少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしている。
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戦闘機「飛燕」が掩体壕に格納されている |
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「飛燕」
三式戦闘機(さんしきせんとうき)「飛燕」(ひえん)は第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発し、
1943年(昭和18年)に制式採用された高速戦闘機である。開発・製造は川崎航空機により行われた。
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