連 絡 の 窓           

                          令和3年1月号
           
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               ・会員の皆さんへ。
           「連絡の窓」を時々開いて、担当変更の有無の確認や新情報を見てください。
           新型コロナウイルスによる感染が依然として拡大しています。会員の皆様におかれましても気を緩め
           ずに十分に留意して感染されないようにお願いいたします。 
 
   1月24日更新  田村副理事長からの注意連絡です。
      千葉県「電話de詐欺」係から下記のような連絡がありました。
     「電話詐欺の犯人逮捕者が所持していた電話名簿に、田村哲三名がありましたのでご注意ください。名簿は拡散している
      可能性がある」とのこと。当方は留守電対応で直接出ないので被害はありませんが、個人情報がいつのまにか流出してい
      たのですね。皆さんもご注意ください。  田村
 
   1月11日更新  流山市の人口が1月6日に20万人を超えました
                       
 
     「流山 いま むかし」(広報ながれやま掲載) (流山市立博物館元館長 川根 正教氏)
       追加
        ④高瀬舟と蒸気船「通運丸」
        ⑤流山の神社
         ⑥発掘された遺跡ー北部地区
       上記資料は こちら
 
   1月8日更新  令和4年の流山小学校創立150年について   青柳理事長
       流山本町の青野議員から来年令和4年の流小創立150年について市関係者と地元本町に情報提供の依頼がありましたので
       下記の通り
報告しておきました。  
            
      
 
   1月8日更新  緊急事態宣言について
    政府は昨日、緊急事態宣言を発出しました。
    ・首都圏に限らず全国大都市の感染拡大が急速に深刻化しています。菅首相は1か月後には事態改善させるといっていますが、
     到底無理なことは素人でもわかります。生半可な対策は効果がないし、余計長引いてしまい、後に控えるオリンピック開催が
     危ぶまれてしまいます。皆さんはどう思われますか。
     ・流山市内でも昨年12月ころから感染者が急増しています。入院して治療が受けられるのが当然と思っていますが、空きベッド
     がなく自宅療養となると家族感染が心配となるばかりではなく、容体が悪化することが十分に考えられます。
     東京都内では既にこのような事態が現実となっています。
     ・もはや自分自身で身を守るしかありません。皆さんもどうか十分に気を付けていただきたいと思います。
     ・井崎市長から市民の皆さんへの動画メッセージがあります。  こちら

   ・流山市内居住者における新型コロナウイルス感染者の発生状況  こちら

    新型コロナウィルスについての参考
    某医療センターの某医者から
     ・新型コロナウィルスは、感染しても何日も症状が出ない場合があります。では、自身が感染されたかどうか、どう分かる
      のでしょう。咳と熱の症状が出て、病院に行った時は大体50%は肺が繊維化されていると考えられます。

      即ち、症状が出て受診すると遅れるケースが多いのです。
     ・毎朝、自身でチェックできる簡単な方法があります。
      深く息を吸って、10秒我慢する。咳が出たり、息切れる等、すごく不便なことがなければ、肺が繊維症状になってない、即ち、
      感染されてないということです。(注:新型コロナで悪化すると、肺胞の組織が繊維化して硬くなっていくようです。)

      現在、既に大変な事態になっているので、毎朝、良い空気を吸いながら、自己診断をしてみてください。
     ・常に、口と喉を濡らして、絶対に乾燥した状態におかないこと。15分毎に水を一口飲むのが良いそうです。
      ウィルスが口に入ったとしても、水や他の飲み物によって、食道から胃に入ってしまえば、胃酸によりウィルスは死んで
      しまう。
水分をよく摂らない場合、ウィルスが気管支から肺に侵入してしまう。
     ・味覚、臭覚障害、何となくだるい、疲れる、呼吸異常(深呼吸ができない)などの症状は感染の疑いあり。
        
    パルスオキシメータ
     ・新型コロナウイルス感染症の重症化の目安となる血液中の酸素飽和度を測定できる
     ・肺炎になり、肺がダメージを受けた状態を知る目安となる医療器。
     ・操作自体は簡単で、家庭での購入も可能ですが、測定値のもつ意味はその人の状態やかかっている病気によっても異なる。
      ため、測定値の判断は主治医などの医療専門の方の指導を仰ぐことをお勧めします。
        参考 こちら

    厚生労働省のホームページ
     ・国民の皆様へ(新型コロナウイルス感染症) 厚生労働省    こちら
     ・新型コロナウイルスの感染が疑われる人がいる場合の家庭内での注意事項(日本環境感染学会とりまとめ)厚生労働省
        こちら
     ・新型コロナウイルスに関するQ&A(一般の方向け) 令和3年1月8日時点版) 厚生労働省 こちら
 
      1月1日  青柳理事長および豊口事務局長の新年のご挨拶    
 
 
 
       勉強会3題 
    1.田村副理事長 「庚申信仰について」
     庚申信仰や庚申塔については、いろいろに解釈されていて定説がありません。その解釈も戦後後付けされたと
     考えられます。
     それで、いろいろな参考図書の引用と流山市内に残る庚申塔を分析したことをまとめたものです。理解できない
     ことも多くあると思いますので、疑問、質問を寄せていただき回答することができればよいと思います。
     この資料は「流山市史研究」に投稿予定の論文なので投稿前ですから会員以外への漏洩は厳禁でお願いします。
      資料は
 こちら
 
     2.平本雅晴幹事  「流山と一茶」
     この度、俳句協会内の勉強会(現時点では小生の計画段階中)資料として「流山と一茶」をパワーポイントに
     まとめてみました。
     ガイドの会メンバーと違い、地理歴史・産業史に比較的馴染みが薄いことからもその点に力点を置いてみました。
     1コマ×4分間(1時間)+質疑応答30分間の1時間半の勉強会。
     資料は こちら
  
       (提出された資料はパワーポイント形式でしたが、写真形式にして掲載しました)
 
 
    3.事務局 関口亘彦  「船戸陣屋跡を訪ねて」
   ・田中藩本多家は下総国飛地領 1万石を元和2年(1616)から明治元年まで約250年間支配していました。
 本多家の下総飛地領を管理するため船戸と藤心(現在柏市)に役所が置かれ、それぞれに代官が派遣されました。
 船戸役所が中相馬領(現流山市、野田市、柏市、我孫子市、埼玉県庄和町)、藤心役所が南相馬領(現松戸市、市川市、
 鎌ヶ谷市、柏市)を管轄していました。
 中相馬領内の年貢米は江戸川添いの加村にあった御用河岸(本多河岸、加村河岸)から江戸へ積み出されました。
・「田中」の地名は、本多侯の封地であった駿河国田中藩(現静岡県藤枝市)の名をとって村名を「田中村」として旧領
 主を偲んだといわれています。
・今回、船戸陣屋跡が現在どのような状況になっているかを訪ねてみました。次回は藤心陣屋跡を訪ねてみたいと思います。

 
        
    TX柏たなか駅から徒歩15分くらいで陣屋跡につきます。

     駅から常磐自動車道までは立派な都市計画道路が完成し、
   振興住宅地となっていましたが、高速道路を越えると景色が
   一変し、 農地が広がっていました。
   
 
   
   
 TX柏たなか駅 立派な駅です。 善哉庵 代々の代官の墓所
   
   
                    善哉庵  
   
   
 代官の墓石が片隅に集約され時代の変遷を感じました。



 初代から25代までの代官。 23代に須藤力五郎の名前がありま
 した。

  須藤力五郎のお墓は流山市役所近くの光照寺にあります。
 須藤力五郎については「流山のむかし」P120と「流山の江戸時
 代を旅する」(青木更吉著)P208を参照
 
   
   
             船戸不動堂
     竹林の向こう側に代官屋敷がありました。
    
 (後日の調査では斜め向かい側にあったと推定される)
 
   
        柏市文化財めぐり
       船戸代官所とその周辺
      この不動堂の向かい側には、江戸時代に代官屋敷がありました。
      江戸時代、市域には30近い小村がありましたが、そのうち14ケ村が本多候の支配する村々で、船戸と藤心に代官所が 
      置かれました。
       14ケ村以外の村々は、大名領地、幕府直轄、旗本御家人領地が様々に入りくんでいましたので、これを「碁石まじり」
      などと言われました。
      本多候は、数度の所替え(転任)にもかかわらず、下総の領地は上知(返上)せずにすみ、本多氏代々250年の長きにわ
      たり市域の村々を支配していました。そこには、代々の善政があったようです。
      このため、明治維新の時、下総の領地が上知されることになると、旧領民は連合して留任嘆願をしました。結局願いは
      かなえられませんでしたが、明治22年(1889年)4月に小村合併した時、本多候の封地であった駿河区に田中藩(現
      静岡県藤枝市)の名をとって村名を「田中村」とし、旧領主をしのんだといいます。
      また、この周囲には、代官の墓石である善哉庵、伝説をもつ底見ずの池、不動尊、稲荷様などがあり、当時を偲ぶことが
      できます。
         昭和61年11月
         柏市教育委員会
         柏市文化財保護委員会
 
   
            三峯神社の鳥居
     この神社の神獣は怖い顔つきをしていました。


    三峯神社といっても神社の建物はなくお稲荷さんの祠(お社)
  があるだけでした。
  時代の推移とともに荒れ果ててしまったと石碑に刻まれてあり
  ました。
   
   
    村人達は、平和に暮らしていく為に無病息災息災を願い、講中
  を組織し、神佛を信仰して参りました。その神佛の一つとして、
  秩父郡大滝村にある三峯神社を信仰し、ここにお社を建て、昭和
  28年まで代参を続けて参りました。しかし、時代が変わるにつれ
  お社は荒れ放題、見る影もない状態となってしまいました
  と石碑に刻まれていました。

 
   
   
 
                 
     
   代官屋敷があったと推定される場所の現状 (後日の調査では上記地図の位置にあったと推定される) 
代官所の建物は明治時代に入札処分されてしまい跡形もありません。
中央の家は一般の民家です。
(三峯神社の「お社」が写真右端の位置)
   
   
 上記写真の反対側から写す。

      路傍には青面金剛の庚申塔、供養塔、石灯篭等が
     交差点の脇に建っていました

   
   
              医王寺
  真言宗豊山派で開基は不詳。墓地から出土された板碑には
  文明3年(1471)の文字が刻まれているので約600年前
  の開基と思われる。現在の本堂は江戸時代に建立し昭和に
  大修理をしている。
   (千葉県観光物産協会ホームページより)
            医王寺 世界平和観音
     境内には四季折々楽しめる花々が植えられています。
    特に、ぼたんは総本山長谷寺に因んで植えられたという。


   
   
               薬師坊
   建立時期は不詳だが、墓石から約200年前と推定され
   45名の共有墓地であり、医王寺の管理下にあったと石碑
   に刻み込まれていました。


             天満宮
    
(向かい側辺りに陣屋跡があったと推定される)
   元和2年(1616)に建立したといわれ約400年間、
   その間50年ごとに神社の建替えや、修復を重ね今日に
   至っています。
   平成15年菅公生誕1100年を迎えるにあたり神社を建替
   えたと石碑に刻まれていました。
   
 
       目安箱 (再掲)
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  」