連 絡 の 窓       

                         
 令和3年10月号   
   
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              会員の皆さんへ
           「連絡の窓」を時々開いて、事務局からの連絡の確認や最新情報を見てください。
           新型コロナ禍で、全国的に緊急事態宣言やまん延防止防止等重点措置が解除されましたが
           会員の皆さんも気を緩めずにこれまでと同様に感染防止対策をしていただきたいと思います。
 
 
       10月27日更新    「赤城祠碑」の石碑の建立年を検討する  青柳理事長                 
    赤城神社の階段を上り切った左側に「赤城祠碑」がありますが、この石碑が水没説や新規建立説、
昭和32年の三代目説といずれが正しいか具体的に状況や風景を掘下げ、現在の「赤城祠碑」につい
て検討をしてみました。




           赤城祠碑


















 
 
 
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           10月25日更新   新入会員の皆様へ   事務局 
  新入会員現地ガイド研修日
22日定例会での参加可能日調査結果から、研修日は11月8日(月)に決定しました。
悪天候が予想される場合は前日に再度実施可否を連絡します。

  日 時 : 11月8日(月)9時~12時  9時に平和台駅に集合
  行 程 : 本町を巡り、12時に流山駅で解散予定
  服 装 : 青色制服(未購入の会員は普段着)で名札を首から下げる
  講 師 : 事務局豊口、岡、関口
  準 備 : 各人に説明チャレンジをお願いしますが、無理の場合は事務局が説明しますので、
      気軽に考えて大丈夫です。筆記用具
               
           10月25日更新   ガイド編成表
              11月19日の教育研究会と12月11日の公民館秋行事の編成は下記のとおりとなりました。
 
                   印刷は こちら
 
          10月23日更新   定例会の報告  事務局
             22日に行われた定例会の報告をいたします。
             要 旨
  ・定例会は、昨年7月以来である。ガイド活動は11月から活動開始することになったので、気持ちを新たに
 すると同時にコロナに対する注意もしなければならない。
  ・当会にとって最大の事柄は、昨年9月に国から表彰を受けたということである。 
 「ぐるっと流山」に掲載されたが、流山市での国の表彰は初めてであるので、ガイド活動が再開した時に市
 の広報等に掲載してほしいと言ってある。皆さんのお陰です。(表彰状の読み上げと副賞の盾の紹介)
 「ぐるっと流山」は  こちら   「連絡の窓9月号」の掲載は こちら
・当会員の中でコロナ感染者が出なかった。

・石戸谷さんが、足が悪いとのことで退会した。
・陣屋跡の待機ガイドでお世話になった秋元浩司さんが7月に亡くなって「ご霊前」を届けたことは「連絡の
 窓」に報告した通りです。

・一茶双樹記念館の入場料は、無料となった。検温測定は実施されている。業務内容は未定のようだ。
・秋元さん倉庫に保管してもらっている当会の「旗」の出し入れは、制服を着用した状態で家に向かって一礼
 して入ってほしい。

・1月の郷土史検定は、予定通り実施される。
 新しい班編成についての説明があり、今後のガイド予定は新しい班編成で実施する。今までの班長経験者
 は新しい
班長をサポートする形で実施してほしい。
・待機ガイドは、従来は土日同じ班が行っていたが、来年からは別々の班が行うことになる。
・新班長には、お客さんからの申し込みに対して、事務局からお客さんの情報が書かれたガイド申込書を渡す
 
ので申込責任者と連絡を取って内容確認などを行うことになる。
・待機ガイドは、午前10時から午後3時までであるが、天候の状況や、お客さんの来る様子などを班長が判
 断して時間短縮もある。昼には昼食タイムをとる。

・本陣跡の待機ガイドは、開始および終了時には秋元さんに挨拶してほしい。利根運河の場合も同様に交流館
 に挨拶してほしい

本陣の説明に秋元商店内にある写真で説明をする場合は、店内に入って了解を得て説明してほしい。     
・赤城神社、浅間神社、大杉神社で説明する
場合は、班長または説明する人が代表して拝殿で一礼してから説
 明をしてほしい。

・再開するにあたり、秋元さんへの挨拶は、最初の日だけ青柳理事長が挨拶に行く。
・班長は、お客さんの責任者との打ち合わせ事項の中でマスク、手指の消毒、検温、体調などコロナ対策をお
 願いする。

・10名以上のお客さんは、10名を目途に班対応とし、複数の班対応となる。
・当会の会員のボランティア保険は、コロナに感染しても保険の対象になる。
・待機ガイドについては、ルールを決めて徹底したい。
平本幹事からの情報で、一茶句碑建立について、一茶双樹記念館から俳句協会北川会長あてに句碑の選択打
 診があっ
た。
・流山小学校が、来年150周年を迎える。誇るべき記念の年なので市に忘れることのないようにお願いし
 た。「広報ながれやま」に流山小学校の古写真、記念品などの寄贈、貸出しの
募集記事が載っていたが、市
 は認識してくれたようだ。

・「連絡の窓」11月号には、「小金城趾と高城氏を訪ねて」を掲載する予定である。
  12月11日の公民館秋行事 「身近な戦国時代の城を探訪する」では、小金城趾と広徳寺をガイド予定に
 なっているので、ガイド参加される方は参考にしてほしい。
  「ガイド参加出欠表」は、全員の出欠が未完のため、完成次第「連絡の窓」に掲載いたします。
            
       10月15日更新  田村副理事長からのお知らせです。
  15日、グッドモーニング誌に私のインタビューが掲載されました。「新選組の隊士になろう」の記事もあります。
 
          
 
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          10月15日更新  普化宗一月寺について   事務局 関口
   昨日14日に、松戸市立博物館に行ってきました。なかなか立派な博物館でした。
9月号に掲載した「一月寺の遺石と一月堂について」(小川監事 佐藤(茂)幹事)(資料は こちら
に関連して博物館には、普化宗(ふけしゅう)一月寺の歴史が展示してありましたので掲載いたします。
一茶道のガイドの時には参考にしてください。

普化宗一月寺の他、千葉氏と高城氏に関する展示、小金城址のジオラマ他ありました。
博物館へは、武蔵野線JR新八柱駅で下車し、③乗り場からバスで2つ目の停留場「森のホール21・公園中央口」
下車、目の前が博物館です。入場料310円 徒歩は約20分かかります。
 
 
 
普化宗一月寺に関連する展示物 
 
    楽器としての尺八
 


   
普化宗一月寺

  江戸時代
  小金宿の虚無僧寺一月寺は
  青梅鈴法寺とともに普化宗総本山として
  全国に知られていました
  普化宗は中国唐時代の
  普化禅師を宗祖とする禅宗の一派で
  その僧侶を虚無僧といいます。
  しかし、明治4年(1871)
  政府の普化宗廃止令により
  普化宗総本山一月寺の
  歴史は閉じられました。








     
    虚無僧の歴史

   十七世紀初頭、浪人やかぶき者のなかから、鈴を振りな
   がら入寂した普化禅師を宗祖とし、尺八を吹いて托鉢修
   行する者が現れます。ここに普化宗と虚無僧が誕生しま
   した。幕府は、延宝五年(1677)虚無僧寺院の法度
   を定め、本山末寺制度によって寺院と虚無僧を支配しま
   した。
   虚無僧たちは組織的に活動を始め、十九世紀前半に最盛
   期を迎えます。






  
   
 虚無僧の姿  江戸時代の一月寺
   
  

   虚無僧寺院

  諸国を行脚していた虚無僧たちは、十七世紀各地農村
  などの別当寺や草庵を虚無僧寺院にして定住しました。
  安永六年(1777)には一月寺を本寺とする金先派、
  京都明暗寺の寄竹派などの組織があり、諸国に約八十
  カ寺の虚無僧寺院がありました。虚無僧寺は檀家を持
  たず、葬式を行うこともありません。尺八を吹いて托鉢
  修行する虚無僧だけが出入りしました。






   
     一月寺の取締場

   十八世紀中頃、にせ虚無僧が社会問題になると、普化宗は
   武家の宗門であるとして粛正を諮りました。
   また、持ち場にしている村からねだり虚無僧の排除を依頼
   されると、修行,止宿を差し止める溜場に指定し、その代
   金を溜場料として受け取りました。
   一月寺では、これを取締場、取締料などと呼びました。
   虚無僧たちは、これを武士の禄高や知行地のように考え、
   諸国に広げていきました。





   
      尺八の歴史
 
   日本では古代から
   表五孔・裏一孔の短い尺八が吹かれ
   中世にも芸能民や朝鮮の楽人が
   表四孔・裏一孔の尺八を吹きました。
   近世には、尺八が普化宗に独占されましたが、
   虚無僧寺院が江戸や京都に
   指南所を開設して多くの人々に伝授し、
   独自な音楽文化を築きました。
   近代に入り、普化宗廃止後は
   音楽楽器として継承され
   改良が加えられながら
   現代に生き続けています。
   
 

 風俗にみる尺八(17世紀)  昭和35年(1960)ころの一月寺
   
   
        10月9日更新  理事会の報告  事務局 
          8日に行われた理事会の報告をいたします。
         要旨
        ・非常事態宣言が解除され、ガイドの再開に向けて準備したい。
        ・ツーリズム課主催の「行灯の夕べ」は取りやめた。
        ・公民館秋行事は、延期になっていたが12月11日に実施する。
        ・11月19日の流山市教育研修会40名は、集合場所14時北小~16時30分北小解散の予定である。
        ・7月25日秋元氏87歳の葬儀には、ガイドの会が大変お世話になったので青柳理事長が香典をもって参列した。
         ・昨年9月にガイドの会が、国から表彰を受けたが、市の広報等に公表してもらえなかった。
         当会が再開した時に市の広報等に公表してほしいと依頼した。

        ・ゆう大関係は、来年5月19日から11期生の授業が始まる。募集人員は従来の半分となる予定だ。
         史跡は、A、B合わせて60名とのこと。当会は30名に対応することになる。

        ・公民館主催の郷土史検定は、1月11日から実施される。
        ・待機ガイドについては、来年3月から実施できる状況であれば行う。土日を同じ班で行っていたのを、二つの班
         で別々に対応する。
祝日は希望者が担当する。
        ・11月5日の定例会に、会員には未説明の「諏訪神社コース」と「茂呂神社コース」をパワーポイントで説明する。
        ・11月19日、12月11日のガイドは参加希望者としたい。
        ・来年2月の理事会、定例会は、確定申告のため会議室が取れず、6日の日曜日となる。
        ・新人対象の現地研修は11月に実施し、次回日程を決めたい。
        ・ガイド再開について
         ・10月受付開始、11月からガイド実施とする。    
         ・10人を目途に1グループとする。

         ・お客さんの体調管理は、事前に申し込み責任者に行ってもらう。
          ・お客さんも当会もマスク着用とする。
         ・緊急事態宣言または、まん延防止防止等重点措置が発出された場合は、ガイドを中止する。
 
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 班編成表(再掲)内容に変更はありません
 
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 10月22日(金)定例会の配席図
 
 
          10月1日更新   事務局からのお知らせ(9月25日) (再掲)
              史跡ガイドの会10月定例会を10月1日(金)に予定していましたが、 10月22日(金)に延期
            いたします。

            コロナ感染者の減少により、千葉県の緊急事態宣言は解除される見込みですが、医療機関のひっ迫状態
            からまん延等重点措置が発令されることが予想されるためです。まん延等重点措置の期間は半月程度と
            考えていますが、状況が変わりましたら再度ご連絡いたします。

            2回のワクチン接種済者でもブレークスルー感染でクラスターが発生したとの報道もあります。
            引き続き、コロナ感染防止に努めるとともに他の病気にも罹らないよう、体調管理に留意していただき
            たいと思います。

            今後の予定
            10月定例会 10月22日(金)13時~15時、中央公民館第二会議室
            11月定例会 11月5日(金)
            12月定例会 12月7日(火)
 
          10月1日更新   秋行事史跡ガイドウオーキングについて  青柳理事長
              現状、12月11日(土)に、中央公民館主催秋行事として昨年延期となっていた史跡ガイド
            ウオーキング
身近な戦国時代の城跡を探訪する」が予定されています。
             戦国高城氏の本城、支城関係の様子を訪ねたいと思います。
             人数制限、制約など流動的ではありますが実施を願っています。
 
 
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         ・目安箱 (再掲)
           日頃のガイド活動で感じたこと、改善したいことなど会の改善に伴う建設的なご意見をお願いいたします。
          また、流山本町を歴史的な町にするための良いアイディアがありましたら是非お願いいたします。
          ご意見は画像をクリックしてください。
                       
 
         ・勉強会への投稿についてのお願い
           勉強会への投稿が少なくなっております。日頃勉強した成果を是非、投稿をお願いいたします。
         投稿に当たっては、皆さんに理解を深めるために投稿の際、
簡単な主旨と本文、写真、図等の添付をお願い
         いたします。
 
 
        勉強会1題 「真間の手児奈を訪ねて」  事務局 関口
         私がガイドの会に入会した頃、流山になぜ「手児奈塔」があるのだろうと疑問を抱いていました。
        絶世の美人であるがゆえに悲しい物語を秘めた「手児奈」に興味を抱き、市川市の弘法寺(ぐほうじ)を訪
        ね、「手児奈」の原点を探ることにしました。
        手児奈のご利益は、良縁成就、孝子受胎、無事安産、健児育成で、生み、育て、生きることの素晴らしさを
        守護する地元の女神として多くの人々からの信仰を集めています。
        流山市内には手児奈塔が4つあります。この記事の終わりの方に記載いたしました。女性が手児奈のように
        美しくなりたいとの願いで流山にも信仰が伝わったのでしょう。手児奈塔には顔や文字に欠損部分があり、
        大変残念ですが女性の手児奈への思いが強く感じ取れました。       
 
          アクセス 武蔵野線西船橋駅で総武本線に乗り換え市川駅で下車---徒歩約15分
 
 
歴史の散歩道入口 


 入口付近にある「大門通り」の埋め込み。 
 当時は弘法寺につながる大門通りは
 松並木に彩られていたという。

散歩道は弘法寺までレンガ道が続く 


     
   うらみ 
  葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の
  船人騒ぐ波立つらしも

    万葉集巻十四東歌(作者不明)雑歌 


真間川           説明版
 『万葉集』にも詠われた真間の手児奈伝説
 に登場する「真間の入り江」の跡とされて
 いる。
  
 真間川の歴史と上記万葉歌が記述されている  

 
           
 
      弘法寺に通じる「歴史の散歩道」には、民家の塀に万葉歌が掲示されていました。
     「にほ鳥の葛飾早稲をにへすとも その悲しきを外に立てめやも」 詠み人知らず
     「銀も金も玉も何せむに 優れる宝子にしかめやも」 山上憶良
     その他柿本人麻呂、額田王など万葉歌人の歌が民家の塀に掲示してありました。
  
     
    真間の継橋     

  
足(あ)の音せず行かむ駒もが
   葛飾の真間の継橋やまず通わむ


  足音せずに行く駒がほしい、葛飾の
  真間の継橋をいくつも手児奈のもと
  に通いたいものだ
 
  読み人知らずの歌であるが、当時の
  都びとにまで美しい手児奈のことが
  知れわたっていたのである


     真間の継橋(ままのつぎはし)は、市川市にかつて存在した橋で、日本百名橋(番外)に選定されている。
    現在は、川自体が存在せず、当地には石碑と説明板、橋の欄干を模した記念物が建てられている。  
    万葉の時代、この地域にはたくさんの州があり、その州から州へのかけ橋が「継橋」だったと考えられています。
    また、継橋は後世多くの歌人の題材になりました。
     

  流山本町にもこのような「俳句ポスト」
 を数か所設置することによって「俳句の
 街・流山」をより一層PRできるのではな
 いかと思います。
  一茶も双樹も草場の陰で喜ぶものと
 思います。

 
俳句,和歌作品を募集するポスト  俳句,和歌入選作品の掲示板  
     
        真間山弘法寺
      真間山、弘法寺(ぐほうじ)は奈良時代、天平九年(737)、行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられた折、里の娘手児奈
     の哀話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思われ、一宇(いちう)を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚く
     その霊を弔われた。
      それからおよそ百年ほど経た平安時代、弘仁十三年(822)に弘法大師(空海)が教えを弘められるためにおいでにな
     られた時、求法寺を七堂伽藍に再建され、寺運を一新して、「求法寺」を「弘法寺」と改称された。
     当山は元亨三年(1323)に千葉胤貞公(ちばたねさだこう)より寺領の寄進を受け、天正十九年(1591)に徳川家康公よ
     り御朱印状を賜り、元禄八年(1695)には水戸黄門公が来詣された折、茶室を賞(め)でて「遍覧亭(へんらんてい)」と
     称された。
     明治二十一年(1888)火災のため、全山、悉く灰燼(かいじん)に帰し、現在の諸堂は明治二十三年(1890)に再建された
     ものである。  真間山弘法寺より
 
 
      境内には、日蓮の真刻と伝える大黒天を祀る大黒堂、鐘楼、仁王門、伏姫桜(樹齢400年)とよばれる枝垂桜があり、
     小林一茶、水原秋桜子、富安風生などの句碑がある。春は枝垂桜、秋は紅葉が美しいといわれています。

弘法寺入口

涙石(27段目左側にある) 

 正面石段の下から27段目にある石。
 石段は千個以上の石からなるが、この
 石だけ涙を流すかのように濡れ続けて
 いる。

  江戸時代に、作事奉行の鈴木長頼が
 日光東照宮の造営のために使う石材
 を伊豆から船で運ぶ途中、市川の根
 本付近にさしかかった時に船が動か
 なくなり、積んでいた石を勝手に近く
 の弘法寺の石段に使用してしまった。
 長頼は幕府から責任を追及され石段で
 切腹。その時の無念の血と涙が染み込
 んでいるという伝承がある。
 

     
 真間寺で斯う拾いしよ散紅葉  一茶


 一茶も真間山弘法寺だけでなく、真間の
 継ぎ橋、手児奈霊神堂、真間の井にも訪
 れたことでしょう。

 
一茶の句碑
階段を登り切った右側にある
 
 

     梨咲くと 葛飾の野はとのぐもり   水原秋櫻子
    まさをなる 空よりしだれ桜かな   富安風生
 
 
仁王門 金剛力士像 
     弘法寺が明治の大火の際、被害に遭わなかったのが「仁王門」と「鐘楼堂」である。その仁王門に掛かる「真間山」の額は
     空海が記したと伝えられている。
     
左側が本殿右側が客殿 平成9年末に完成した客殿 朱雀門
    本殿には、日蓮聖人御遺文「真間釈迦仏御供養逐状(おいじょう)」と「四菩薩造立鈔」にも示されてる高名な一尊四士霊像が
    安置されている。

    朱雀門の説明版にも「にほ鳥の葛飾早稲をにへすともその悲しきを外に立てめやも」の万葉歌が書かれている。   
 
     手児奈霊神堂
    市川市真間に所在する伝説上の女性手児奈を祀る霊堂である。  
   今から1300年ほど前、真間の井(亀井院)に水を汲みに行く一人の女性がいた。名前は手児奈。身なりはそまつだったが、とても
   美しいと評された。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしか
   ありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます」となやみ、海に行く(当時は真間山の下は
   海だった)。そのころ、日没になろうとしていた。「そうだ、あの太陽のように」と思って海に身投げしてしまった。これを悲し
   んだ人たちは、手児奈霊神堂を建てて祀った。 手児奈の民話は こちら

     手児奈
    一つの説によると、手児奈は舒明天皇の時代の国造の娘で、近隣の国へ嫁いだが、勝鹿の国府と嫁ぎ先の国との間に争いが起こ
   ったために逆恨みされ、苦難の末、再び真間へ戻った。しかし、嫁ぎ先より帰った運命を恥じて実家に戻れぬままとなり、我が子
   を育てつつ静かに暮らした。だが、男達は手児奈を巡り再び争いを起こし、これを厭って真間の入り江に入水したと伝えられてい
   る。
   古くから語られていた伝説が、この地に国府がおかれた後、都にも伝播し、万葉集の歌人たち(山部赤人・高橋虫麻呂)の想像力
   をかきたてたとされている。
      
手児奈霊神堂入口  手児奈霊神堂   
  奈良時代のはじめ、山部赤人が下総
  国府を訪れたおり、手児奈の伝承を聞
  いた山部赤人は


 われも見つ人にも告げむ葛飾の
 真間の手児奈が奥津城処 
  *奥津城処 (おくつきどころ): 墓所
         
  
     
    亀井院
     手児奈霊神堂の向かい側に立つのは、弘法寺の塔頭・亀井院。本堂の裏手には「真間の井」と呼ばれる古井戸が残されています。
   「真間の井」は、その昔、手児奈が水をくむときに使った井戸といわれており、そのことは『万葉集』におさめられている。
     勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ  髙橋虫麻呂 巻9 挽歌
   (葛飾の真間の井を見ていると、水際まで平に踏みならして水を汲んでいたという手児奈のことが偲ばれてならない。)
 
亀井院  本堂の裏に井戸がある  真間の井 
 
  流山市内の手児奈塔   市内には4つの手児奈塔があります。
    旧浄栄寺(桐ケ谷)    
     創建は不詳。今は廃寺となった浄栄寺跡、山門も本堂もなく大師堂と観音堂と手児奈堂が残っています。

左が手児奈堂、奥が観音堂

手児奈堂
 
  手児奈塔
欠損もなくきれいに保存されている
     
   香取神社(青田)     
     神社の創建は不詳。祭神は経津主命、旧青田新田の村社。境内には元禄11年(1698)の庚申塔がある。
           手児奈大明神 
  手児奈にあやかりたいと願い、文字を
  削って石粉をお守りにしたと思われる。
  文字に欠損部分が見られる
     
   法栄寺(駒木台)     
   江戸時代中興の日蓮宗の寺院。山号は妙高山。本尊は釈迦牟尼仏。境内入口には、手児奈塔、日蓮塔などの石造物や保存樹木の
  イチョウなどがある。日蓮上人座像は市指定文化財。
  道路沿いに手児奈塔が安置されている  手児奈の姿と手児奈大明神と刻まれていた     顔に少しの欠損部分が見受けられる 
     
   香取神社(名都借)      
    神社の創建は不詳。祭神は経津主命。境内には大杉神社、雷神社が祀られている。享保11年(1726)の庚申塔他多くの
  石造物がある。
  左側の鳥居の後ろ側に手児奈塔がある
 
     「手児奈大明神」と刻まれた手児奈塔
   大明神の文字に欠損部分がある
 
 
   あとがき
   今まで流山市の歴史に関連する事柄について、流山市以外の町を訪ねてきましたが、それぞれの市では歴史を大切に守って
  いる姿勢が見受けられました。当時の建物や施設(現地の保存、説明版)などで歴史を大切に保存していました。
  流山市も歴史を大切にすることにようやく目覚め始めましたが、流山本町歴史地区にはまだまだPRが足りないと思いました。
  今年4月には、青柳理事長が地元町会長との連名で、「流山市指定記念物(史跡)認定のお願い」を市長、教育長あてに提出(こちら)
  していますが、未だその回答がきておりません。また、7月には、「一茶句碑建立について」を市長あて(こちら)お願いしています
  がこれも未回答となっております。
  青柳理事長が市に積極的に働きかけておりますが、会員の皆様方も流山の歴史を保存する良いアイディアがありましたら「目安箱」
  にご意見をお願いいたします。
 
 
 
 
21-9-41 kondouisami batoukannon hiraooiwake hiraowakihonjin itabasihonjin itabasi engiri hiraoitiriduka toukouji kanmyouji monjyuin nakajuyukuhonjin hiraooiwake hiraowakihonjin itabasihonjin itabasi engiri