連 絡 の 窓           

                          令和3年2月号
           
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               ・会員の皆さんへ。
           「連絡の窓」を時々開いて、担当変更の有無の確認や新情報を見てください。
           新型コロナウイルスによる感染が依然として拡大しています。会員の皆様におかれましても気を緩め
           ずに十分に留意して感染されないようにお願いいたします。 
       2月21日  「流山 いま・むかし」(広報ながれやま掲載) (流山市立博物館元館長 川根 正教氏)
            ⑦ 発掘された遺跡ー中部地区
        
 
      2月19日 理事会および定例会の中止について
          緊急事態宣言が解除されなかったことから、3月5日(金)予定の理事会および定例会を中止いたします
         中止が長引いたことから会員の皆様の近況報告を「連絡の窓」3月号に掲載いたします。
         近況報告を2月28日までにお願いいたします。
 
     2月17日  「わがまち・ふるさと再発見」 93 六社神社と深井新田の渡し跡
           2月14日、「ASA江戸川台運河グッド・モーニング」のネット版が配信されましたので掲載いたしました。 
            
 
 
    2月7日 一部訂正について(転記間違い)
          藤心陣屋跡と当時の建造物(門)を訪ねて 
          柏文化財めぐりの説明版の年代、元和元年(1865)→1615  こちら
         
藤心陣屋 規模、六百六十四坪(約2,200)→約2,200  こちら
          に訂正をお願いいたします。
    2月1日 理事会および定例会の中止について
          新型コロナウイルス感染状況を判断して、2月9日(火)予定の理事会および定例会を中止いたします。
     
         皆さんの状況
          事務局から理事会、定例会中止の連絡の際、皆さんの状況をお願いしましたが、皆さんそれぞれ健康管理を
         されており、散歩やオンライン会議の勉強をされている等の報告がありました。
 
         目安箱 (再掲)
          日頃のガイド活動で感じたこと、改善したいことなど会の改善に伴う建設的なご意見をお願いいたします。
         ご意見は画像をクリックしてください。
                
 
     新型コロナウイルスについて
     ・新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が出された直後から感染者が急増しましたが、現在は多少減少の
     傾向を示しつつありますが、2月7日の解除は到底無理です。1か月程度の延長の方向と最終調整が行われるよう
     ですが当然だと思います。流山市内の感染者は、毎月増加している状況です。
     保健所の調整業務が追いつかず入院できないまま自宅で亡くなるケースが相次いでいます。保健所が入院先を探し
     ても受け入れ先が見つからなかったり、症状が軽いと判断されて自宅療養を余儀なくされてしまいます。
     自宅療養といっても「自宅放置」にされているのです。
     このような状況を回避すべく医療体制の確立を急ぎ政府、自治体が取り組まなければなりません。
     軽症者が即、入院という医療体制になっていない現状では既に医療崩壊になっていると考えられます。
     ・コロナは、症状が軽い人でも急に悪化する可能性もありとても怖い病気です。
      治ったとしても後遺症が残ります。階段を上った時の息切れ、息苦しさ、味覚、嗅覚障害、筋肉痛、脱毛、ひどい倦怠感
     が何か月も続きます。回復後のジョギングは、急に倦怠感が出て寝込む状態となることがあります。
     ウイルスは肺の奥に入り込み、酸素と炭酸ガスを交換する肺胞を破壊してしまうのです。壊れた肺胞は復元しません。
     ですから息苦しさや血液に酸素が十分に行かないため、体のいろいろな部分に支障が出るのです。
     ・パルスオキシメーターは、肺炎重症化の可能性を見つけるツールですが酸素飽和度が規定値以下になったらすぐ
     に救急車を呼んだほうが良いと思います。パルスオキシメーターは通販で買えますが届くまで半月くらいがかかります。
     私の場合は、10日前に通販で注文しましたが、2月1日現在まだ届いていません。
     パルスオキシメーターについては1月号を参照してください。 こちら

     ・入院中の治療費は国負担ですが、退院後の後遺症の診察や薬代などの治療費は個人負担となります。
     ・皆さん、不要不急の外出はやめましょう! 巣ごもりをしましょう! 自分自身で自己防衛をしましょう!
 
 
       勉強会5題 
      1.青柳理事長 1.流山小学校が千葉県創立一番小学校の根拠確認   
               2.東福寺の「阪川治水記」記念碑建立年の根拠確認

         資料は
 こちら 
 
       2.田村副理事長 「わがまち・ふるさと再発見」 
       
定例会の時に配布している「グッドモーニング誌」の”身近な史跡めぐり”の連載は、86観音寺(木)までは定例会で配布
        済みですが、今回87香取神社(木)~92八坂神社を「連絡の窓」に掲載いたしました。
       
2月号からは「江戸川台グッドモーニング」でネット検索するとネット版が出ます。15~16日ごろ掲載されます。
        「連絡の窓」にも掲載いたします。

         資料は こちら
       
 
       3.高橋理事 「新選組解散後、隊士たちは明治時代をどう生きたのか」
         資料は こちら 
 
       4.佐久間幹事 「雷神社の祭神は?」
         雷神社(鰭ヶ崎)はどこの末社なのか?
          資料は こちら
 
       5.事務局 関口  「藤心陣屋跡を訪ねて」
          前回船戸陣屋跡現地調査に引き続いて、藤心陣屋跡を訪ねてみました。
         現地は住宅地から離れ周囲は畑と田んぼでした。当時の陣屋らしきものは何一つ残っていませんでした。
         当時の藤心陣屋の裏門が観音寺に、また中門は法林寺に移築されていることがわかりましたので現地に行ってきました。

           法林寺にも門が移築されたのは、観音寺の住職が法林寺の住職を兼ねていた関係と思われます。

           藤心陣屋跡と当時の建造物(門)を訪ねて 
         藤心陣屋跡を訪ねた後、当時の門が観音寺と法林寺に現存していますので、この両寺とも訪ねました。
         
藤心陣屋跡へは東武野田線逆井駅から徒歩25分くらいです。
             駅から藤心陣屋跡を経由して観音寺へのルート図
 
 
            法林寺へは東武野田線新柏駅東口から徒歩15分くらいです
            藪崎邸の長屋門が法林寺のすぐ近くにありますのでぜひ立ち寄ってください。立派な長屋門です。写真は こちら
                 法林寺へのルート図 
 
 
 1.藤心陣屋跡 
 
東武野田線逆井駅 逆井駅東口 
 
 
撮影方向1   藤心陣屋跡説明版
 
      説明版には下記のとおり記載されていました。 (縦書きを横書きにしました) 
      柏文化財めぐり
        代官所と本多侯維新
      土地誌に「陣屋跡 藤心字大宮戸二百七十番ニアリ。里人御代官跡又ハ御役所跡ト称ス。維新以前本多紀伊守ノ配下ニ
     属スル役所ノアリタル処ニシテ、明治二年其ノ建物ヲ取払へり。(後略)」との記述があります。
      江戸時代の柏の地域には数十の村がありました。しかし、一括した一人の領主の支配地ではありません。
     幕府は江戸周辺の地では幕府直轄地(代官支配)か旗本の知行地を本体とし、石高の小さい飛地領を組み合わせて配置し、
     財政的、権力的に幕府を脅かすことのないような制度を作りました。
      本多俊正の四男正重は元和元年(
1615)のころから柏地方との関係が生じ、享保年間(1716~1735)頃ま
     でには、本多家代々によって市域内では14ケ村にわたって支配するようになりました。
      正重は家康から柏周辺で九千石を拝領し、1万石大名の格式を与えられ、船戸と藤心に代官所を置き、領地の差配をし
     ました。本多も代が変わり、また所替え(転任)等があっても、領地の返上はせず江戸時代末までの250年間柏地方の
     領主として支配してきました。
      このように長年にわたり支配できたというのも本多家代々の善政が行われていたようです。当時の善政というのは、主
     に重税(年貢)をかけないということがあったのです。
      明治維新の折、本多侯の領地は安房に移り、下総の領地は上知(あげち=返上)をされました。
                                         平成五年六月
                                            柏市教育委員会
 
     「藤心陣屋跡石柱」の裏側には下記のように刻まれていました。(縦書きを横書きにしました) 
       一六一六年元和二年7月  本多領となる
      一六一八年元和四年五月 藤心役所建つ
      一八六九年明治二年一月十二日 葛飾県役所加村坂台(流山市)と定む
      一八六九年明治二年十二月 藤心役所(藤心字大宮戸二七〇)の建物撤去
                         柏市史年表に依る
      一九八〇年昭和五十五年十二月 土地所有者     渡来育也
                           長男 渡来 績
 
     藤心陣屋
      位置 「大津川に面した低位段丘面にある」 (柏市史・資料編二 土・千代田村誌)
      規模 「南相馬御役屋敷 坪数 六百六十四坪(約2,200㎡)」 (千葉県東葛飾郡教育会 1923「千葉県
          東葛飾郡誌」
藤心陣屋跡石柱位置から写す(撮影方向2)
  
 
   渡来本家に当時の写真等があればと思い訪ねてみましたが
  留守でした。隣の分家に行きましたが85歳くらいのおばあさ
  んが出てきたので話を聞いたところ
  ・本家のおじいさんは教育者で、当時の資料は後世に伝えな
   ければと大事に整理してあるようだ。
  ・自分の旦那は農業を選んだので当時のことは分からないと
    思う。
  
  ☆当時の代官所の写真等がある可能性が出てきたので、どなた
   か現地を訪れた際には本家に立ち寄ってください。
   陣屋の位置やどのような建物であったかがわかってくる可能
   性があります。







 
 
   渡来(わたらい)本家
 
 2.当時の建造物(門) 
   当時の代官所の裏門が観音寺に、中門が法林寺に現存しています。これらの門は文化財には指定されていませんが、江戸時代の
  建造物として文化財に値するものと思われますが、移築後、改修したのが原因なのでしょうか。
  屋根が銅板葺き(観音寺)と瓦葺き(法林寺)になっているところが気になります。

  (1) 観音寺の裏門について  (観音寺へは東武野田線逆井駅から徒20分くらいです)
 
          観音寺(真言宗豊山派)入口
    奥にある門が当時の藤心代官所の裏門
    境内は広く四季折々の草花が楽しめそうである。
              表 面 
      当時の藤心代官所の門を移築したもの
      (説明版はありませんでした)
 
  明治維新の折、本多氏は安房に移りましたので、代官所の
  建物は入札処分されました。
  藤心代官所の裏門は、逆井村の名主次郎右衛門に引き取
  られ、のち観音寺に移築された。
   柏のむかし112 船戸。藤心代官所
           (「連絡の窓」1月号参照)

裏 面   観音寺本堂 
 
  (2)法林寺の中門について  (法林寺へは東武野田線新柏駅から徒歩15分くらいです)
 
           法林寺本堂
    境内には樹齢500年と推定される「大いちょう」
    柏市指定文化財(天然記念物)があります。
四脚門(中門)
中門は本堂に向かって右側にあります

 
         苦抜門

   此の四脚門は、駿河国田中藩五万石の下総受領地代官所
  の中門であった。
   藩主本多侯は元和二年より下総相馬郡一万石(飛地)を相
  伝領有し、藤心の地に代官所を設置した。有力農民等を手代
  (能吏)に任じ、村々の対応に当たらせていた。
  取締りや下知等は代官所で執らせ、藩政外の事は手代の裁量
  に委ねられるものが多かったという。
  代官所の裁可によって,此の門を通り抜けられたので、「苦
  抜きの門」と呼ばれていたのである。
   廃藩後、明治二年代官所解体で、門等が代々筆頭手代を勤
  めた藤心の石井家(藩士格)の屋敷へ移設された。
  更にこのたび当家よりゆずり受けたものである。
  人々の苦しみを抜き、楽しみを与える「抜苦与薬」の願いこ
  そ仏さまのお心である。門を通るごとに仏さまの大慈悲心に
  触れましょう。
  田中藩飛地  相馬郡四十二ケ村
  旧南相馬郡―鎌ヶ谷市一部、沼南町全域、柏市南部(増尾以南)
  旧中相馬郡ー我孫子市西部、柏市北東部(旧田中村・富勢村)
    平成十二年秋彼岸
          真言宗 法林寺 
 
 
表 面  裏 面 
 
 3.おまけ 藤心陣屋跡から観音寺へ行く途中の神社仏閣です。 
 
八幡神社 (渡来分家の隣) 宗寿寺 (真言宗豊山派) 
 
 
 厳島神社

浅間神社
(神社の裏側は杉林で富士塚はありませんでした)
   
  4.藪崎邸の長屋門  
 
          景観重要建造物指定
    景観重要建造物・樹木とは、景観法に基づき景観計画
   区域内において特に良好な景観を形成している建造物
   や樹木の外観を適正に保全していくために指定するもの。
     藪崎邸の長屋門(柏市景観重要建造物指定) 
  本長屋門は、江戸時代中期に建築されたと伝えられる白漆喰
  腰壁板張り・船枻造り瓦屋根の伝統的建築物であり、歴史ある
  貴重な原風景です。
   
 
   
   
 
中には入れません  建物は堀で囲まれています