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令和3年12月号 |
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会員の皆さんへ
「連絡の窓」を時々開いて、事務局からの連絡の確認や最新情報を見てください。
新型コロナ感染者は、全国的に激減を維持しておりますが、最近、オミクロン株という新型ウイルスが
世界的にまん延する傾向にあります。日本にも南アフリカから第一号感染者が入ってきました。
会員の皆さんも気を緩めずにこれまでと同様に感染防止対策をしていただきたいと思います。 |
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12月29日 更新 PCR無料検査および年末年始の医療体制について |
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流山市安心メールより |
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1 【千葉県事業】新型コロナウイルス感染症の無料検査(PCR検査又は抗原検査)の実施
について
12月28日から、千葉県が感染に不安を感じる無症状の県民全ての方を対象に、令和4年1月31日までの
間、希望する場合に無料で検査を受けることができる事業を開始しました。
【県ホームページ】 https://www.pref.chiba.lg.jp/shippei/kansenshou/pcrmuryouka.html
【問い合わせ先】 千葉県健康福祉部疾病対策課 検査体制整備班 043-223-4327
2 【千葉県事業】年末年始の発熱外来指定医療機関について
千葉県では、12月29日(水)から1月3日(月)の間の発熱外来指定医療機関を県ホームページに公表して
います。
【県ホームページ】 https://www.pref.chiba.lg.jp/kenfuku/hatsunetsu.html
3 年末年始の市の体制について
(1)流山市新型コロナウイルス相談専用ダイヤル
12月29日(水)から1月3日(月)の間も、市民の健康相談に対応します。発熱などの体調のご不安など
について、お気軽にご相談ください。
電話番号 04-7138-6121 ファックス 04-7155-5949
時間 午前8時30分から午後5時15分まで
専用ダイヤルの開設時間外は、千葉県発熱相談コールセンターをご利用ください。
電話番号 0570-200-139 ファクス 043-224-8910
時間 24時間(土日祝日年末年始も対応)
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「広報ながれやま」12月21日より |
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12月24日 更新 宿連合自治会への史跡説明会の報告 事務局 |
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23日に行われた宿自連合自治会への史跡説明会は下記のとおりです
場所 赤城福祉会館2Fホール
時間 13時30分~15時30分
内容 1.流山の歴史概要(特に流山本町を中心に) 青柳理事長
2.本町コースをPPTで説明 岡理事
3.流山市無形民俗文化財(大しめ縄行事、ヂンガラ餅神事、おびしゃ行事)のビデオ上映
質疑応答 流山が常磐線のルートから外れた経緯について、三輪野山貝塚にヒスイが出た理由
地元参加者 14名
その他 青野議員から自治会への要望
このような説明会を今後、各自治会員にも聞いてもらいたいので検討してもらいたい。
大しめ縄は、来年は作り直すがワラ不足で神社委員会も悩んでいる
ガイドの会出席者 青柳理事長、岡理事、関口
当会の今後の検討 今後、市内各自治会での説明会が要望されることが予想されるので、プロジェクター購入の
必要性を感じた。(今回は青野議員が市から借りてきた。市は一般の貸出は禁止となっている。) |
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青柳理事長による 流山の歴史概要説明 |
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岡理事による本町コースの説明 |
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12月18日 更新 羽口の渡しの呼び方は「はくち」か「はぐち」か「ばくち」か「ばぐち」か?
田村副理事長 佐藤(茂)幹事 |
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「羽口の渡し」は、新選組の制圧のため、新政府軍が来流時に渡川に使った公営の渡し場ですが、先に
「連絡の窓」に田村副理事長が投稿の証文土手新見解の資料収集の際に、「流山庚申塔探訪」に掲載ある茂
侶神社の道標庚申塔と馬口道の関連等を尋ねたところ、羽口の渡しの詳細等を、解説いただいたので、解説
文等を参考に共有します。 |
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12月15日 更新 3回目新型コロナウイルスワクチン接種について 塩崎幹事からの情報 |
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・3回目のワクチン接種の予約が、柏厚生総合病院で行われています。2回目接種後8か月以上経過した日
の予約となります。
・予約方法
「柏厚生総合病院コロナ予約」で検索
新型コロナウイルスワクチン3回目接種について
予約サイトのURLをクリック
ログイン(画面右上)
予約者アカウントをお持ちでない方はこちら (こちらをクリック)
予約者登録(必要事項を入力して登録) ⇒ 新規サイトのため会員登録が必要 (登録完了のメールが来る)
再度、予約サイトのURLをクリック
パスワードを入力してログイン
カレンダーをクリックして、2回目接種後8か月以上経過した日で希望の日を予約する。
以上です。 |
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12月8日 更新 定例会の報告 |
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7日に行われた定例会の要旨は以下の通りです。
・一茶の胸像と句碑の関係で青野議員と一緒に市長にお願いしたが胸像の建設はむずかしいとのことである。
越後節の句碑と利根川の句碑は、説明版を作るとか設置場所については検討するとのことである。
・12月8日の北小学校のガイドは、雨天の予報のため13日に延期したいと校長から電話があった。
・12月5日に小金城趾コースの下見を数人で実施した。本コースは距離があるので自分の足や交通手段を考え
て無理しないように。
・見世蔵の所有者である寺田さんが亡くなった。新しい所有者は、ツーリズムデザインが買い取ったと聞いている。
・利根運河の割烹新川を流山市が買収した。昭和8年建築で昭和17年に現在地に移転した建物であるので修
復して文化財にするとのこと。どう活用するかは不明である 。
・赤城神社のチラシを作成するにあたり原稿を青野議員に渡した。
・ゆう大11期では、博物館コースを博物館に寄らないで本行寺・大原神社・大宮神社・光照寺で解散というコー
スの変更の検討をしてくれないかと言われた。
・新川耕地の流通センター建設に伴う歴史と文化の提案について現在、新川耕地に日本一の流通センターが
建設中であるが、DLP(大和ハウス工業株)とGLP(日本GLP(株))に対して新川まちづくり協議会と地元自
治会で環境問題、交通問題について地域住民が不利にならないように話しあってきた。流通センター側の
施設が完成間近になり、新たに地域住民との交流を目的とした施設の開放、イベント開催について協議を
進めている。
その中で「歴史と文化」を取り入れてくれないかと提案したところ相手も協力するとのこと
であった。
・3月19日にイベントが予定されているが、それに向けてガイドの会でも提案していきたい。
流通の歴史(舟運から貨車輸送、そしてトラック輸送へ)を当会と流通センターでコラボ企画することや、午
前中、流山本町を見学して午後からはバス移動して流通センターを見学するというコースも考えられる。
・利根運河の倉庫に2本のガイドの会の旗があったが、1本は古くなったので処分した。
秋元商店倉庫に保管してある旗を点検して使えないものは処分し、新規に旗を購入して3月からの待機ガイド
に間に合わせたい。
・ガイド予定表の説明については下記のとおり。
・明日8日、北小学校のガイドは雨天が予想されるので13日に延期となった。
8日の参加者で今日の定例会の欠席者には中止の旨、連絡をする。
・重点説明箇所がグループごとに決まっているので、その個所は詳しく説明をしてその他の個所は簡単な説
明で良い。
・時間は8時30分~11時で時間厳守
・Cグループは店内を見たいと希望する児童たちで谷田さんが引率する。
・児童たちの質問には易しい言葉で答えてほしい。
・各グループの児童たちから事前に知りたい項目を各リーダーに渡してあるので、参加者はリーダーから内
容を聞いておいてほしい。
・13日に延期になったグループは、当日一茶双樹記念館が休館なので外での説明をお願いしたい。
・郷土史検定が1月11日から始まる。
・1月の定例会は、1月14日(金)となる。
・12月11日公民館行事は、1,2グループがガイドするが、実際にコースを歩いてみた いという人は3グループ
として高橋理事がリーダーとなって私服で参加してほしい。体調を考えてコースの途中で離脱しても構わない。
・江戸回廊マップに載っているお店の休日が変更になっている。
・会員名簿の変更について
・佐藤 弘 PCアドレス訂正なし (本人確認済) 追加 sat25@docomo.ne.jp (スマホ)
・田村(隆) 郵便番号 279-021 ⇒ 270-0139
・東福寺の千仏堂に1001体の仏像があるが、36代住職さんの説明では中央の阿弥陀如来像の脇に6体の仏
像があり合計1007体であるとの説明があった。
会議終了後、班別に集まって打合せや情報交換を行った。
以上
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12月3日 更新 本日、3組のお客さんを案内 事務局 |
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今日3日は、3組の案内がありました。ゆう大おおたかの森学園の講義(青柳理事長、岡理事)、視聴覚障碍者の
案内(3班、4班担当)、一般ガイド(5班中野隆、鈴木)がありました。、天気に恵まれた半日でした。
本日、渡部さんがガイドデビューしました。11月27日には、岡本さんもガイドデビューしました。新入会員の皆
さんの積極的なガイドに期待しております。 |
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12月3日 更新 ゆう大おおたかの森学園講義報告 事務局岡理事 |
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12月3日、ゆう大おおたかの森学園で「地域の歩みと近隣の史跡」の講義が行われれました。
青柳理事長が 、流山の歴史概略からおおたかの森駅周辺の小金牧、村を1時間で講義 、休憩(10分)の後、
岡理事が後半50分で
諏訪神社・成顕寺コース
、天形星神社周辺コース の説明後、当会へのガイド申し込
み方法を説明 。出席者34名 |
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12月3日 更新 流山視覚障害者協会の案内 事務局関口 |
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視覚障害者7名にボランティア付添人7名と責任者1名の計15名の案内でした。
バスが約20分遅れてケーズデンキ駐車場に到着しました。
佐久間さんが概要説明した後、2グループに分けて3班、4班が赤城神社、光明院、一茶双樹記念館を案内しました。
時間の関係で赤城神社の拝殿には行きませんでした。怪我人を出さずに無事帰っていただきました。
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渡部さんがしめ縄の説明をしてガイドデビューしました。 |
時間の関係で赤城神社の階段の前で説明する吉岡さん |
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光明院で新選組隊士たちの分宿、連句碑、タラヨウを説明する
落合さん。タラヨウの葉を触って文字が書かれている感触を味
っていました。 |
一茶双樹記念館で2グループが合流し、田村(隆)さんが
記念館、一茶、双樹について説明。
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12月1日 更新 ゆう大中央学園講義報告 事務局 |
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11月30日、ゆう大中央学園で「地域の歩みと近隣の史跡」の講義が行われれました。38名の出席者がありました。
青柳理事長が、利根川東遷、流山の地名と商業の町、みりん、県庁、TXと人口増加等の講義を行いました。
10分間の休憩の後、岡理事が本町コース、河岸・渡しコース(矢河原、丹後、幸房等)および中央公民館コース(大杉
神社、本多家加村台御屋敷、大宮神社、大原神社光照寺等)の3コースについての講義を行いました。
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38名の出席者がありました。 |
青柳理事長による、利根川東遷、流山の地名等の講義 |
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岡理事による流山本町コース、河岸・渡しコース・中央公民館
コースについての講義
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生徒によるお礼の言葉
流山の歴史がよくわかりました。緑豊かな流山の町が人口が
増えたこともあり、今後さらに発展して豊かな町になるよう私た
ち願っています。 |
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12月1日 更新 ガイドの状況報告 田村副理事長 |
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11月27日、流山おおたかの森駅情報センター企画 南流山、東福寺、赤城神社、光明院、森のアトリエ黎明、
一茶双樹記念館紅葉コース、参加者9名 ガイド1班(小川、佐藤弘、岡本、田村哲) |
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東福寺木東福寺=住職が千仏堂で説明 |
岡本さんが赤城神社でガイドデビュー |
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一茶記念館の紅葉 |
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12月1日 更新 読売新聞夕刊(11月22日)の記事 事務局岡理事 |
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12月1日 更新 流山北小学校のガイド編成について 事務局長豊口理事 |
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目安箱 (再掲)
日頃のガイド活動で感じたこと、改善したいことなど会の改善に伴う建設的なご意見をお願い
いたします。また、流山本町を歴史的な町にするための良いアイディアがありましたら是非お願い
いたします。
ご意見は画像をクリックしてください。 |
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勉強会への投稿についてのお願い(再掲)
勉強会への投稿が少なくなっております。日頃勉強した成果を是非、投稿をお願いいたします。
投稿に当たっては、皆さんに理解を深めるために投稿の際、簡単なコメントと本文、写真、図等の添付を
お願いいたします。 |
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12月1日 更新 勉強会は2題あります。 |
議題1 証文土手について 田村副理事長、 資料協力 佐藤(茂)幹事 |
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証文土手については伝承的に語られてきた。しかし、古老からの聞いた話や文献の先入感的な解釈からか、
築堤年代の違いや築堤の目的、築堤場所等に違和を感じるものがあった。
そのような中、オンラインミーティングで証文土手が検討された。今回、短い時間の中での検討もあって確固
たる結論には至らなかったが、市史等文献や各種絵図等をもとに、新たな見解を導き出したので、資料を共有
します。 |
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議題2 根木内城跡を訪ねて 事務局 関口 |
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根木内城は高城胤忠によって築かれた城です。高城胤吉の築城とする伝承もあります。
栗ケ沢城に代わる高城氏の拠点として機能し、1537年(天文6年)に小金城を築城して居城を移すまでの間、本拠地
として使われた城です。その後、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原攻め」で開城しました。
現在は根木内歴史公園として整備されており、6郭(くるわ)以上あったとされる廓のうちの一つと、土塁、空堀が保
存されています。
根木内城跡は、国道6号線建設と宅地造成によって貴重な歴史遺産が消滅してしまい、現在、その一部しか残ってい
ません。 どのような歴史があったのか、またどのような城であったのか現地を訪ねてみました。 |
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案内図 |
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中世の城は、自然の川や崖や台地等の地形をうまく利用して難攻不落の城を造っていることがわかります。 |
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比較的規模の大きな城であったが、現在は国道6号に分断され、国道北西側の遺構は開発を優先した宅地化で完全に消滅している。
松戸市というのは史跡を軽視しているようで、小金城と同じく根木内城も痛々しく破壊されている。遺構は一部のみ公園化されている。
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根木内城は南から北に延びる舌状台地に築かれ、南北600mの規模と推測される。東西を挟んでいる富士川の支流を
天然の要害としていた。南端台地は空堀によって遮断(土橋の位置)しており、台地の北端に主郭が置かれた。
主郭を中心に大きく六つに区分する構造となっており、大手付近の郭と主郭の間には小郭が設けられており、更にその
小郭と主郭の間に馬出し郭が設けられていた。また、大手、小郭虎口、馬出し郭それぞれを守る、空堀へ突出した櫓台
が設けられ、台地繋がりの南方に向けて厳重な構えとなっていた。
宅地化で消えた主郭は四方に土塁を配置し、北・東・南に虎口を構えていた。特に川のない南方に向けては障子堀を造
るなど厳重な構えだったようだ。 |
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旧水戸街道と国道6号線との交差点付近から根木内城跡を望む
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写真1
小金団地交差点に入口がある |
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写真2
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写真3
土橋 |
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説明版 模式図
土橋
空堀を一部掘り残して土の橋を造っています。廓(城の区画)と廓、廓と外部を結ぶ役割がありました。土橋は直線に近いのですが、
古い測量図からは両側の土塁の位置をわずかに食い違え、道を曲げていたことがわかっています。敵から廓の中を見えにくくし、
一直線に侵入させないための工夫です。また当時は橋の幅も狭かったようです。
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写真4
土橋を渡ると芝生広場に出ます。当時の廓の一部です。
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写真1
当時の城郭等の写真が掲示されています。
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写真5
正面に展望台(お立ち台)がありました。
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写真6
展望台から空堀を撮影。左側の平らな個所は廓の一部。
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写真7
埋め立てられた状態の空堀跡 |
説明版
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空堀
館の侵入を防ぐために、廓(城の区画)の縁辺下には堀が造られます。これだけの幅と深さがあると、敵は容易に近づけなかったで
しょう。
右の断面図は、平成10年度に松戸市教育委員会によって行われた埋蔵文化財確認調査によるものです。調査点付近は掘が埋め
られていましたが薬研堀(やげんぼり)といわれる底が尖った形状の空堀が確認されました。
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写真8
正面の平らな部分は湿地帯と上富士川
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写真9
右側は高い土塁となっている
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写真10
現在も存在する湿地帯
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写真11
改修後の上富士川。写真右が湿地帯と根木内城跡
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写真12
幅80~100mほどある湿地帯。
人馬も侵入できず、矢も届かない自然の要害地。
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写真13
空堀から土橋の方を望む。空堀はかなり埋め立てられた状態である。
右側は高い土塁となっている。
ビデオは こちら (削除) |
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栗ヶ沢城
寛正元年(1460年)高城胤忠の築城とされている(「高城家由来書」)が、永正
3年(1506年)に高城胤吉が栗ケ沢に陣を構えたのを由来とする説もある。
15世紀前期には原氏の代官としての高城氏の居館が栗ケ沢にあったとも考えられる。
高城氏の拠点は、後に根木内城・小金城に移るが、高城胤則の代には重臣田島時定が
栗ヶ沢の城代を務めていた(「東葛飾郡誌」)という。
現在は土地開発によって整地されて松戸市立根木内中学校及びユーカリ交通公園
を中心とした住宅地となっており、当時の遺構を確認する事すら困難であるが、古い
地図に基づけば、坂川・富士川最上流域の北側に突出した北之内と呼ばれていた台地
上に城郭が南北350メートル・東西120-150メートルにわたって広がっていたと推定
されている。更にそこから東南に伸びた谷津に突出した殿内と呼ばれる丘の上には
城郭に付随する形で居館部があったと考えられている。
(位置は案内図中央下端)
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家系図には諸説あります。
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伝承では、胤忠は正長元(1428)年5月に紀州から根木内へ来たとする(『八木原文書』)。また、別説では、胤忠は
寛正元(1460)年に紀伊国熊野新宮から、功臣の「安蒜、鈴木、座間、田嶋、血矢・池田、田口之七騎」を率いて栗ケ沢
に移住してきたという(『高城家略伝』)。
馬橋の万満寺に残る古文書にも、高城氏はもと二階堂氏で、寛正3(1462)年壬午歳、紀州から根木内城(松戸市根
木内)を構えて移り住んだという。また、高城家末裔の旗本・高城清右衛門胤親が幕府に提出した系譜にも寛正年中
に紀伊国熊野新宮から移住したと記されている(『諸家系譜』)。特に安蒜氏、鈴木氏、田嶋氏の家紋は稲穂紋であり、
熊野との関わりをうかがわせる。 |
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