北 部 コ ー ス

     江戸川台駅西口(東武アーバンパークライン) → 日光東往還 → 平方観音 → 美原野馬除土手 → 浄信寺 

     → 慈眼院 → 西深井富士塚 → 安蒜家板石塔婆 → 日光東往還ダブルクランク → 駒形神社 {解散} 

     → 江戸川台駅
   
       
 
             平方観音   
 ・300年以上前、この地に清水の湧く泉があり、傍らに聖観音を祀る
  小さな祠があったが大風により御堂が破損したので里人が現在地
  に御堂を建てたと堂内の板書きに記されています。
  本尊は聖観音菩薩(秘仏)で午年に御開帳される。(次回ご開帳は
  2026年、写真は2014年8月9日ご開帳の日に撮影)
  ・境内には流山市内では最も古いとされる板石塔婆があります。 
               同 左






   
            美原の野馬除土手
 ・江戸時代、幕府の野馬放牧場で野馬が家や田畑に入らないように
  築いたのが野馬除土手です。
 ・近年、宅地化がすすみ江戸時代の大切な史跡が消滅しつつあります。
 

              浄信寺
 ・創建は不詳。浄土宗の寺院
 ・観音堂には秘仏の聖観音が祀られ、60年に一度のご開帳です。
 ・境内には如意輪観音、地蔵菩薩、馬頭観音塔などの石造物等があ
  ります
 ・本堂を建て替えて地域交流の場として設置した地下ホールがあり
  ます。
   
              慈眼院
 ・創建は未詳。真言宗豊山派の寺院
 ・東深井山田家の氏寺。
  山田家の祖先は石田三成の重臣山田上野之介で、佐和山城落城後
  せがれと孫が逃れ東深井に住んだという。
 ・門前左側の石碑に慈眼院発祥の由来が書いてあります。
 ・山田家は現在、東深井で「ギャラリー平左衛門」というお店でお茶や
  食事を扱っています。こちら
              山田家のお墓







   
             西深井富士塚
 ・江戸時代に富士山信仰が盛んになり富士講を組織して多くの人々
  が富士登山してご利益を得ようとした。自分たちの住んでいる所の
  近くに富士山に似せた小山(塚)を築き、登ることで富士登山と同じ
  ご利益を求めました。
 同 左




   
             安蒜家板石塔婆
 ・県指定有形文化財の板石塔婆(板碑)2基が安蒜家(あんびるけ)
  の墓地にあります。鎌倉時代末期の正和4年(1315年)と元享2年
  (1322年)に建てられました。
 ・板碑は死者の追善供養に建てられたが、生前、自身の極楽往生を
  願って建てたものもあります。
            安蒜家板石塔婆   
 ・鎌倉時代末期の正和4年(1315年)、元享2年(1322年)の建立。
 ・板碑上部中央蓮座上にキリークという梵字があり、阿弥陀如来を
  表しています。


   
              駒形神社
  ・創建は室町時代初期。現在の社殿は平成10年に再建されました。
 ・境内には源義家が奥州出陣の折りに立ち寄られ、愛馬を繋いだと
  されるの椋(むく)の木の後裔があります。また、左手奥に小さな
  富士塚があります。
富士塚




 
 日光東往還ダブルクランク
 ・江戸時代、将軍が家康の命日に参拝する日光社参の際、準備役や現地の警備に当たる大名等が日光街道とは別ルートで利用した街道です。
 ・日光東往還は水戸街道小金原入口から栃木県雀宮の南、鞘堂新田で日光街道と合流する約78kmの街道です。
 ・市内には5つのクランクがありました。クランクとは直角に曲った道路であり、クランクの謎は諸説ありますが解明されていません。