利根運河7コース                       



     運河駅西口(東武アーバンパークライン) → ビリケン → 利根運河碑 → 量水標 → 窪田酒造 →  

     利根運河大師堂 → におどり公園 → 不動坊 → 深井城址 → 運河駅西口{解散}
 
   
       
 
                             利 根 運 河
 
    ・明治20年利根運河(株)が設立され、利根川と江戸川を結ぶ全長8.3kmをオランダ人土木技術者ムルデルの指導によりわずか
     2年間で明治23年5月にこの運河を完成させました。 
    ・この運河は民間会社により造られたもので、運河完成により船による大量輸送が東京の経済発展に大きな貢献を果たしました。
     しかし、大正時代になると鉄道や自動車の発達により船の航行が減少し始め、昭和16年7月の台風で運河の構造物や堤防が大き
     く破壊され、50年間にわたる利根運河としての役目を終わりました。現在は水辺公園として市民の憩いの場所となっています。

 案 内 図

 
          待機ガイドについて 
           今年(平成29年)9月の第3日曜日から水辺公園にて10時~15時の間フリーのお客様に
           ご説明いたします。お気軽にお声掛けください。
           期間は3月~6月の日曜日および9月第3日曜日~12月第2日曜日、10~15時
             
   
             ビリケン像
 ・利根運河会社の支配人森田繁男氏によって利根運河と森田果樹園
  の発展を願って大正2年に建立されました。
 ・ビリケンは頭がとんがり、つりあがった目をした特異な子供の姿を幸
  福の神として世界中に広がりました。

             水辺公園
 ・この公園には、運河を設計・工事監督したオランダ人技師ムルデル
  の石碑、利根運河解説之碑、浮き桟橋や量水標などがあります。
 ・当公園には、運河の両岸を約160本のソメイヨシノが3月下旬~4月
  上旬に咲き誇り、見事な彩りを見せてくれます。
 ・市民の憩いの場として利用されています。
            
                 
 
              手水石
 ・利根運河が民間事業の利根運河(株)が経営していたことを後世に
  伝える遺品としてここに設置されました。
 ・通水125周年記念にあたり谷中霊園の今村清之助の墓所にあった
  ものを家族の了解を得て移設したものです。
            手水石と運河橋
 



   
    利根運河碑(写真左)と利根運河のいわれ(写真右)
 ・利根運河碑:碑文は漢文で書かれているが利根運河が開削される
  に至った経緯が書かれてあります。
 

             ムルデルの碑
 ・ムルデルの功績をたたえこの顕彰の碑が建てられました。
  碑文には「利根運河はわが国土木史上屈指の事業で、ムルデルが
  手がけた最後の仕事であった」と刻まれています。
 
   
              ムルデル
        (オランダ人・日本政府お雇い外国人土木技師)
            水位観測表示板

   
       
               量水標
 ・江戸川の河口浦安市堀江町にある清瀧神社境内に水準点が設置
  されており、この高さを0.000mとしている。この水準点をYPゼロ
  という。
 ・写真の水位で量水標の読みを4.7mとすれば清瀧神社境内にあ
  る水準点よりも4.7m高い位置にあることを表示しています。。
 ・通常はこのような水位に保たれている。
 ・YPというのはYedogawa Peil(えどがわぺいる)の略で江戸川基準
  水面のことをいいます。
 ・江戸川や利根川水系の河川工事をする時にはYPを高さの基準とし
  て水門や護岸などの構造物を造るのに使用しています。

   
  ・平成13年9月の台風で運河の水位が9.36mを観測し、バルコニー
  のところまで水位が上がりました。
 ・また平成28年9月10日の台風で水位8.1mまで上がりました。
 ・平成28年9月11日撮影
         平成28年9月11日撮影
  ・平成28年9月10日の台風の翌日の状況。
   平常の水位より約3.4m上がったことになります

   
             窪田酒造
 ・窪田酒造は明治5年の操業で、かつて野田の梅郷にあったものを
  利根運河開設のころ現在の運河岸に移設、東葛飾地域に現存す
  る数少ない造り酒屋です。
 ・酒造りに大切な良質な水と利根運河などの水運による輸送の便利
  さが重なり発展し、今なお創業当時からの仕込み蔵、醸造蔵は現
  役で美酒を世に排出しています。
            利根運河大師堂
 ・この大師堂は利根運河霊場八十八個所札所の一部で、主に利根
  運河沿いに弘法大師像を設置し、流山市、柏市、野田市に分布し
  ています。
 ・昭和16年の洪水によって市野谷の円東寺に移されていた大師像
  を平成8年に大師堂を建立して20体の石造を祀ったものです。

   
             におどり公園
 ・におどり公園は新川耕地の北端にあり利根運河と工業団地の緩衝
  緑地として平成4年に整備された公園です。
 ・古代、この地が葛飾早稲米を産しており、万葉集にある葛飾早稲の
  歌に出てくる「におどり」から公園名がつけられました。

              万葉歌碑
 ・「におどりの葛飾早稲をにえすとも その愛しきを外に立てめやも」
  新嘗祭に使う早稲米を神様に供える神聖な夜は、心身共にきれい
  にしなければならないのに、いとしいあの人が訪ねてきたら、家の
  外に立たせておくことができようか、いや、できない。きっと迎え入
  れてしまうでしょう。
   
             深井城址
 ・利根運河沿いの台地一帯に戦国時代小金城主高城氏の支城の深
  井城がありました。不動坊周辺には土塁と空堀跡が見られますが、
  北側は利根運河の工事で台地が削られたり、埋め立てられたりして
  原形を見ることができません。現在においても深井城全体のイメー
  ジが掴めきれていません。それ故、まぼろしの深井城といわれてい
  ます。
              深井城
 ・深井城は北の勢力関宿城主梁田氏からの守りとして造られました。
 ・天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、小金城が浅井
  長政によって開城し、深井城も開城し、その後廃城となりました。



   
              割烹新川
 ・操業は明治25年で懐石料理、会席料理、うなぎ等の料理を提供し
  ています。 
 ・古くから受け継がれた伝統的な日本料理をもてなしているお店であ
  ります。
 ・戦時中、柏に飛行場があった時にここで特攻隊員の送別会が行わ
  れ、翌日には零戦がお別れの翼を振って去って行ったという話がこ
  のお店に伝わっています。
           浮き桟橋をわたるお客様







   
            桜並木の利根運河         9月には珍しい黄色の彼岸花が咲き乱れます
   
             運がいい朝市
        毎月第4土曜日に開かれます  
                同 左

   
             におどり公園        におどり(カイツブリ) (写真はWikipediaより)
 


   ギャラリー平左衛門
 
           ギャラリー平左衛門
  ・ギャラリー平左衛門に隣接して「茶房さわ」があります。竹林や梅林
  に囲まれた静かな佇まいで四季折々の景色を眺めながらくつろぐ
  ことができます。

               同 左
 ・蔵は明治27年に建てられた2階建ての合掌造りで、絵画の展示や
  ライブなどで多くの市民に愛されている。
 ・山田家のルーツを知る「佐和山落城記」はこの蔵から発見されました。

   
              眺望の丘
 ・ここからの眺望は蛇行する利根運河の曲線美が最も素晴らしいと
  いわれています。


              同 左
 ・この利根運河は平成18年度土木学会選奨土木遺産に、また、平成
  19年には経済産業省が「近代産業遺産」に指定された。また古都保
  存財団の「美しい日本の歴史的風土準100選に選ばれ、平成20年
  には千葉県教育委員会により「ちば遺産100選」に指定されました。