南 部 コ ー ス 2



     南柏駅東口(常磐線) → 野馬除土手 → 香取神社 → 清瀧院 → 綿貫家墓所 → 広寿寺 → 

     名都借城址 → 宝蔵院 → 前ヶ崎城址 {解散}  前ヶ崎城址前と免許センターから柏方面、南流山方面行きバスあり

   
        
 
         野馬除土手跡 (松ヶ丘1丁目)
 ・野馬除土手跡は保存状態がよく、当時の姿をそのまま見ることが
 できる貴重な史跡です。
  ・構造は二重土手で高さ3~4m、牧側の小土手約1.5m、本土手
   と小土手の間にある掘りの深さ約1m、延長約507mで柏市との
   境界になっています。                 
   
 
            香取神社(名都借)
 ・創建は不詳。境内には江戸時代初期の石造物があります。
  庚申塔、馬頭観音、手児奈塔等があります。

              清瀧院
 ・創建は不詳。かつては八ヶ崎(松戸市)にありましたが、戦国時代
  の戦火で焼失、現在地に移ったとされる真言宗豊山派の寺院。
  50余の末寺をもつ本山でした。
   
 
         金剛力士像と寿老人(清瀧院)
 ・本堂に向かって入口右手の堂に金剛力士像があります。(市指定
  有形文化財)
 ・流山七福神巡りの寿老人が祀られています。
       樹齢400年といわれる枝垂桜(清瀧院)



   
            綿貫家墓所

 ・この墓所は江戸時代に軍馬を放牧する小金牧が出来た時に綿貫氏
  が野馬奉行となって管理運営に代々務めていた綿貫家のお墓です
 ・綿貫家の3代から11代のお墓で、初代、2代のお墓と12代以降
  は松戸市北小金にある慶林寺にあります。
 
   
              広寿寺
 ・創建は永禄5年(1562年)小金城主高城下野守胤辰が開基。曹洞宗
  の寺院。本尊は観音菩薩坐像(市指定有形文化財)
 ・山門前に「不許葷酒入山門」(くんしゅ山門に入るを許さず)と書かれ
  た戒壇石がある。臭い野菜や修行の妨げになる酒を寺の中に持ち
  込んではならないという意味
 ・本尊は厄除け観音として、またボケ封じの観音様として親しまれてい
  ます。
              板木(ばんぎ)
 ・叩いて合図をするもので、お勤めの時間、食事の時間、その他合図
  に使用された。現在は呼び鈴代わりに使用されています。
  要約すると「時間を大切にして精進に励みなさい」という意味。



   
              宝蔵院
 ・創建不詳。江戸時代の石造物がある真言宗豊山派の寺院。
  本尊は阿弥陀如来。
 ・石造物には不動明王、六地蔵、庚申塔道標ほかがあります。
 ・明治7年頃、前ヶ崎小学校が置かれました。
               同 左
 ・弘法大師88体石像



   
              前ヶ崎城址
 ・前ヶ崎城は16世紀半ばから天正18年(1590年)頃まで小金城(松
  戸市)を本拠とする高城氏の支城として機能していました。
 ・台地の先端に土塁と空堀で築いた典型的な中世の城郭で、その
  姿を現在に伝える貴重な史跡です。
  ・現在地(写真中央下)から160mと350mの2か所に、かつて堀切
  りが存在したと云われており、このことから3つの郭を直線状に配置
  した城と想定される。付近には刑部郭、追手橋、馬場という地名が
  伝承されている。(流山市説明板)

   
   名都借城址(写真なし)
 ・名都借城は清瀧院と広寿寺に挟まれた名都借台地が谷津を挟んで前ヶ崎台地に対面する地にありました。
  西側と北側には台地の縁に沿って土塁が残っています。
 ・本土時過去帳には永正18年(1521年)3月27日に合戦があったことが記されています。