セントラルパーク駅(つくばエクスプレス) → 愛染堂 → 犬塚 → 耳だれ地蔵 → 熊野神社 → 三本松古墳 → 東福寺 → 雷神社 → 渡辺庄左衛門邸跡 → 南流山駅(武蔵野線) {解散} |
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愛染堂 ・創建は延徳年間(1489~1491年)旧長福寺のお堂。 ・堂内の愛染明王座像(高さ約1m)は市指定有形文化財となって おり、長福寺は廃寺となっているため、現在は光明院の管理下に あります。 |
愛染明王座像 ・愛染明王は煩悩と愛欲を肯定する。恋愛成就、家庭円満、愛、 染物、水商売の守護神とされる。かつては願いがかなうとお礼 に木刀を奉納したという。 |
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思井の犬塚(いのっか) ・思井の伊原家屋敷の裏手に、周囲約4mの椎の木があり、その 根元の塚の上に犬塚碑と刻まれた石碑が建っています。 ・忠犬小金丸の伝承があります。当会員がご説明いたします。 |
耳だれ地蔵 ・耳だれ地蔵の建立は元禄3年(1690年)の延命地蔵 ・耳だれ治しの地蔵として村人の信仰をあつめ、参拝者がお礼にお 茶を供えました。 |
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熊野神社(思井) ・創建は不詳、天和元年(1681年)に社殿を再建された。 ・社殿の右側には椎の木があり、この椎の木が「八木」の名称の 発祥となりました。 |
八木発祥伝説の説明をしています。 |
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在りし日の三本松古墳 現在は公園として整備中 |
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・当古墳は、全長25M、前方部の幅8M、後円部径17M、最大高2.5M の市内でも、例の少ない前方後円墳です。 古墳の墳丘からは、円筒埴輪や人物埴輪が出土しており、その研究 から古墳の造られた時期は、6世紀頃と考えられています。また、墳 丘の形などの研究から、当古墳に埋葬された人は、市川市の法皇塚 古墳、弘法寺古墳を含む国府台古墳群を築いた有力な首長層と密接 な関係を持った在地の族長と考えられています。 墳頂には、文政11年銘の「古塚碑」が建立されています。その内容 を要約すると、「天明の飢きんの時人々が苦しみ、古墳に埋納された 財宝を掘り出し飢えをしのごうとした。それを知った当時の庄屋は、 人々に古代の人の墓をあばく事をたしなめ、古墳を守りとおした。」 と記されている。江戸時代より周囲の人々には、当古墳が重要な文 化遺産であると認識されていたようです。 流山市教育委員会 |
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東福寺 ・創建は弘仁5年(814年)で弘法大師開山の真言宗豊山派の寺院 ・東福寺は天正19年(1591年)徳川家康から30石を賜った御朱印寺。130余りの末寺を持つこの一帯の大本山でした。 また江戸川八十八カ所霊場の札所総本地(流山市、松戸市、八潮市、三郷市)で1番札所としても有名です。 ・境内の仁王門には阿像、吽像の金剛力士像があり、運慶の作と伝えられています。(市指定有形文化財) ・中門の鴨井には、左甚五郎作と伝えられる目つぶしの鴨が彫られている。「目つぶしの鴨」の民話があります。 |
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中門 鴨井に目つぶしの鴨が彫られ ている |
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千仏堂 ・堂内には中尊阿弥陀如来立像と左右に500体の千体阿弥陀如来 立像が安置されています。 ・千仏堂、阿弥陀如来立像付千体阿弥陀如来立像および結縁交 名木は市指定有形文化財となっています。 |
右向き目つぶしの鴨 左向き目つぶしの鴨 目つぶしの鴨(民話)と鰭ヶ崎地名の由来 は当会員が ご説明いたいます。 |
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雷神社 ・創建は不詳江戸時代に再建された。祭神は大雷神(おおいかづち のかみ)。 ・毎年1月20日には享保年間(1716~1736年)から続くといわれる 「おびしゃ行事」が行われる。市指定無形民俗文化財になっていま す。詳細は こちら ・おびしゃの当日、当番は七福神に扮装し、雷神社で神事やトウ渡 し(引継ぎの儀礼)の後、境内に立てた赤鬼、青鬼の顔を描いた 的に向かい、社殿から矢を射てその年の吉凶を占い、豊作、家内 安全を祈願します。 |
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