みりん工場
かつて流山市には二つのみりん工場があり、「天晴みりん」と「万上みりん」で共に江戸時代からの創業で、時代の流れと
ともに「天晴みりん」が平成19年に工場を閉鎖しました。
流山は、古くから米の集散地で、酒造技術があり、江戸川の水運により大消費地江戸と結ばれていたことから、みりんづくり
に最適の地でした。 醬油における「野田」のようにみりんといえば「流山」と想起するほど有名です。
みりんは最初は飲むものでしたが次第に調理用として現在まで利用されるようになっていきました。 |
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天晴みりん
流山のみりん造りは秋元本家に始まるとされています。秋元家は、江戸時代中期(天明年間)に4代目秋元三左衛門がみりん
醸造を始めたことに始まります、5代目と共に親子で開発に努力し、5代目の時にみりんが完成し、「天晴」を販売しました。
工場閉鎖後はその跡地にケーズデンキが進出。平成27年1月にはMCフードスペシャリティーズ(株)により「天晴みりん」の
名が復活しました。 |
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秋元家が経営している店舗
(近藤勇流山本陣跡の隣)
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みりん、酒、焼酎の他新選組グッズや流山の歴史本などが置かれています。
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土蔵の前には近藤勇陣屋跡の説明板が
あります。 |
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万上みりん
万上みりんは、江戸時代中期に相模屋の二代目堀切紋次郎が開発したみりんで、現在まで約250年続いています。
文化11年(1814年)に流山白味醂として発表され、白みりんは江戸から関東一円にまで広がりました。
二代目紋次郎が詠んだ歌から「万上」の商標ができました。 「関東の誉れはこれぞ一力で、上なき 味醂醸す相模屋」
現在は調理用としてのみりんをこの工場で造っています。「万上本みりん」は流山市のふるさと産品に指定されています。
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キッコーマン工場 正門 |
江戸川の堤防より工場を臨む |
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まちなかミュージアム 平成26年白みりん誕生200年を記念して「まちなかミュージアム」が掲示されました
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白みりんを開発した2代目堀切紋次郎夫妻
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みりん工場の銅版画
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「万上」の商標
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歌川広重の 「高輪二十六夜待遊興の図」
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工場内への引き込み線
昭和4年頃の写真 |
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